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仕事、投資、技術メモ、オカルト、その他クソミソな趣味や日常についてあれこれ綴る、日記帳というより雑記帳。忘却の彼方に置き忘れた夢と情熱を求めて彷徨中。

この町の景観は優しい

先日の金曜日はこっそり有給休暇を取っていたので

実は今日まで4連休だったが、今日で連休も終わり。
 
実家に原付のナンバープレートを取りに帰る、
という用事は、よくよく考えたら日帰りでも全く
問題なかった用事だが、母親と過ごす時間などを
色々考えると、僕にその選択肢はなかった。
せっかくの実家だ、のんびり過ごそう。
 
 
近頃母親は「ブラタモリ」という番組が
お気に入りのようだ。長年続いていた
笑っていいともが終了したことにより、
タモリさんの行動範囲も格段に広がったとか。

 
この番組にはスタジオというものが存在せず、
終始野外ロケだ。その上、ご当地グルメ
有名な観光地を巡るといったことをあまりせず、
本当にひたすらタモリさんと桑子アナが
案内人を従えて町を練り歩くだけの番組である。
地形フェチのタモリさんは生き生きとしている。
 
何を隠そう、僕も町歩きが結構好きな人間だ。
この番組に触発された僕は、地元であるこの
滋賀県大津市を久々に練り歩いてみることにした。
僕は本当に影響されやすい。
 
 
暦の上では二月半ばだというのに、今日は
信じられないくらい暖かい小春日和だ。
暑すぎず寒すぎず、町歩きに最適な気温である。
 
歩いた場所は、京阪石坂線膳所浜大津間。
直線距離にして2kmくらいなのでたかが知れてる。
 
 
生まれ育ったこの町の景観は、押し付けがましさも
なければ寂寥感もない、要するに普通の町なのだ。
東京丸の内や大阪梅田のような高層ビルこそないが、
幼少時からあった、今では少し古ぼけた建物たちが
今も変わらずこの町の行く末を見守ってくれている。
 
だからこの町の景観は優しい。そんな風に思う。
若干思い出補正は入っているのは間違いないが。
あの頃と比べてこの町が小さく感じてしまうけれど、
それはきっと僕が成長した証拠だと思いたい。
中身の方は大して成長してないけどね。
 
今もまだ残っている場所。既になくなった場所。
昔のまま変わらない場所。変わってしまった場所…
自分の思い出の場所が取り壊されてしまった様は
少し寂しかった。それでも、今もこの地に住まう
人々の営みや元気な子供たちを見ると、変わって
いくことは正しくて、こうして次の世代にバトンが
渡されていくということを妙に納得してしまった。
 
 
なぎさ公園に佇んで、琵琶湖のさざ波を聞きながら。
そんなことをボンヤリと考えていた小春日和の午後。
 
僕は満足して、大阪へ帰る準備をすることにした。
 

犬と雨のワルツ

今日から明日まで滋賀県の実家に帰省している。
実家に原付を置きっぱなしで放置していたせいで、
転居したなら速やかにナンバープレートを持って
現住所の市区町村へ行き、然るべき届け出をしろ
という通達がなされたからだ。ナンバープレートを
実家まで取りに行かなければならなかった。

自業自得だが、めんどくさい。
そのうえ今日は雨。いっそう億劫な気持ちになる。


僕の実家では犬を飼っている。
犬種はチワワ、今年で14歳になった雄の老犬だ。

僕は実家暮らしが長かったので、この犬と一緒に
過ごした期間が長い。生後すぐにうちの家に
引き取ったので、生まれてからずっと一緒だった。


人望はおろか犬望もなかった僕は、何度か
甘噛みではなくガチ噛みされたこともある。
その犬にとってのヒエラルキーでは、僕は
犬以下の人間と格付けされていたのだろうか。
学生時代も新社会人時代も、何度となく散歩に
連れていってやっていたというのに、その恩を
すぐに忘れる。リアル版「飼い犬に手を噛まれる」
は割と笑えないから困る。所詮チワワだけど。

散歩の最中も、例えば地面をペロペロ舐めたり、
人様の玄関の真ん前でウ○コをしたり、と
なかなか苦労したものである。犬はやはり犬、
何度ダメだと叱っても懲りずにまた繰り返す。
うちの犬はなぜかウ○コは家の犬用トイレではせず、
外でしかウ○コをしない。なので、雨の日も雪の日も
ウ○コをさせるために必ず散歩に連れていかなければ
ならなかった。本当に手のかかる犬だった。


久々…とは言っても、正月に帰省しているので
それほど久々感はないが、実家に帰ると変わらず
母と犬が迎えてくれる。母はまだ元気に見えるが、
犬はやはり年なのだろう、以前よりずっと大人しい。
昔ならキャンキャン吠えて無駄に駆け回って
うるさくて敵わなかったが、今では全く吠えないし
毛布の上でじっとすることが多くてあまり動かない。

我が家では犬の散歩の時間は夕方と決まっている。
久々の散歩。以前なら勢いよく駆け降りていった
階段も、今では一段も自力で降りれないでいる。
仕方なく抱きかかえて舗道まで出ても、少しも
歩きたがらない。土砂降りの中、犬が濡れないよう
傘に守られた領域を犬に譲りながら、少しずつ
犬の歩みを進めさせる。

懐かしい散歩道。
他の犬を見つけては手綱を引っ張りまくり、
帰ろうとしても帰りたがらず僕を困らせた
あの頃が思い出される。そして、そんな昔の姿と
今の年老いた姿を重ね、少し胸が苦しくなる。
犬が過ごす歳月は人間のそれよりずっと短い。
自然の摂理に逆らえないことは頭では分かって
いても、やりきれない気持ちに襲われてしまう。


不意に、犬が足をとめた。
少し腰が引けているこの姿勢は、ウ○コのサイン。
そしてその場所は、人様の玄関の真ん前だった。

慌てて止めようと思った。だけど、僕はそれを
止めることができなかった。実家を出て以来
見る見る年老いていった愛犬が、あの頃と
同じように手のかかることをしようとしている。
最近は便秘気味だと母が言っていた。だから
今回の散歩では、外でウ○コをしないかも知れない
と思っていた。なのに、ちゃんと外でもよおして、
飼い主である僕を安心させてくれているような
気がした。その姿がなんだかたまらなく愛おしくて、
思いがけず目頭が熱くなった。


「よくウ○コできたね、えらいね」
そう言って犬を誉めた僕は飼い主失格なのかも
知れない。でも今日だけは僕の弱さを許してほしい。

速やかにウ○コの処理をした僕は、ティッシュで
犬のおしりを優しく拭いてあげた。すると犬は、
もう散歩の目的は達成したと言わんばかりに、
その後一歩も動かなくなった。仕方なく僕は、
ビショビショになった犬の体を抱えて家へ帰る。
濡れているのに、ずいぶん軽くなった事に気付く。


犬を抱きながら、帰り道にふと考える。
この先あと何回この犬と散歩ができるのだろう。
それを思うと、なんだか散歩が終わるのが
もったいなくて、家に帰りたくないような
不思議な葛藤が沸き起こって足を止めた。
駄々をこねたってしょうがないのに。

依然として強い勢いの雨が傘を叩きつけ、
「バラバラ」と小気味いい音を立てる。
この降りしきる雨音が、寂びた心を慰めて
くれている気がした。少し可笑しくなって、
僕は再び家へと足を進めた。

今はまだ元気でいてくれている、
この小さな犬の体温を感じながら。

背徳の蜜仲

昼間、普段から購読しているニュースアプリに
号外ニュースが飛び込んできた。なんでも、
育休取得がどうとかで物議を醸していた衆議院
議員が某グラドルと不倫をしたとかなんとか。

そういえば、先月も某タレントと某バンドの
ボーカルの不倫騒動で騒がれていたような。
去年は大物芸能人の相次ぐ結婚ニュースで
喜びに沸いていた芸能界だが、今年に入って
SMAPの解散騒動やら某タレントの不倫騒動やら。
なんだか今年は幸先が悪いような…大丈夫なのか。


某タレントの時もそうだが、不倫騒動に関する
ニュースやエントリーをちょこちょこ見ていた
ので、時流に乗って僕もエントリーを書いてみる。

僕は芸能ネタにはあんまり興味ないしどうでもいい。
「不倫は文化だ」と言っている某プレイボーイが
いることくらいは知っているが、どうでもいい。


普段から2ちゃんねるの気団・鬼女板をチェック
している僕は、不倫が発覚し離婚沙汰になった時の
恐ろしい事例・悍ましい結末をいくつも見てきた。
既婚者諸氏は結婚という制度を甘く見てはいけない。
僕ならシタもサレも御免だ。まだ未婚だけど。

なので、不倫はよろしくないことだとは思うが、
正直言って某タレントが不倫をしてようがしてまいが
それは当人の問題だ。どんな結末になろうとも、
不倫というパーソナルな問題に周囲が必要以上に
騒ぎ立てるのは如何なものかと思う。

非難の声もある一方で、応援の声もあるようだ。
「がんばれ」とか「純愛を貫け」とか。
しかし、その反応の内容の如何などどうでもよく、
そもそもこんな問題に第三者は反応すべきでない。
ほっとけばいいものを、ここまで取り沙汰されて
いるのはくだらないマスゴミ機関のせいだろう。
本当にくだらない。


有象無象の虫ケラ達が俄かに勢いづいて批判し、
世論を扇動し、対象を非難して痛めつける。

事件を囃し立て、道義に反する行為を咎めるのは、
一見するともっともらしい姿に映るかもしれない。
正義の御旗を振り翳して罪人を粛清するのは
さぞかし気持ちのいい行為だろう。でもなんだか、
当時の一連の報道は、世間ずれしていない少女を
よってたかって虐めたような、なんとも言えない
後味の悪さをどこか感じさせた。


某タレントの件はともかくとして、今回の某議員は
紛れもない公僕。同情の余地はないだろう。

しかし、少年の買春疑惑が囁かれている議員やら
賄賂で辞任した某経済再生なんとか相やら、
日本の将来が危ぶまれますな。まぁ、昔からだけど。


不倫で思い出した。以前福山雅治さんがやっていた
ラジオの「黒い糸の女」というコーナーがあった。
不謹慎で最低で最高のコーナーだった。ご賞味あれ。

 

力が欲しいか?

力が欲しいのなら…


く れ て や る ! !


ご存じの通り、『ARMS』という漫画に出てくる
ジャバウォックのセリフである。知らなかったら
ネットで色々とネタにされているので見てほしい。
馬鹿馬鹿しいネタが満載だから。
(ちなみに漫画は普通に面白いのでオススメ)


力が欲しい。世界を滅ぼす力が欲しい。
いや、そんな力は別に欲しくないが、多少飲みに
行っても問題なくたまにお気に入りのブランドで
服やカバンを買って家賃および生活費を支払っても
なお余裕のある安定した経済力が欲しい。ゴクリ。
(上記リンクのコピペの丸パクリ)

そうした経済力を確固たるものにするためには
昼の仕事をしているだけでは絶対に無理なのだ。
何か別の収入源がないと…

そうして人は色々と副業の道を模索する。
物販、ヤフオクアフィリエイト
株、不動産、ネットワークビジネス
ちなみにこのブログは悲しいほどアクセスが
少ないため、収益化は想定していない。
つーか、したくてもできない。悲しい。


力が欲しい。お金を作る力が欲しい。
そして、普通にサラリーマンをしているだけでは
中々気づきにくい所に、欲望を充足させる力の
ヒントは割と色々と転がっていたりする。
中には詐欺まがいのものもあったりするけど。

去年の秋に而立(じりつ)、つまり30歳を迎えた。
このまま平々凡々と暮らしていくのもラクだろう。
しかしまぁ、一度きりの人生だ。力を得るために
最期まで足掻いてやろうじゃないか。30歳とはいえ
僕は花の独身貴族。所帯を持たない身なので
とるべき責任は自分の人生のみ。気楽なもんだ。
何があっても全然やりなおしは効くし。


力が欲しい。語学力と技術力が欲しい。以前の僕は、
うちの会社をクラックする力を身に付けてシステムに
侵入して極秘データを閲覧し、その痕跡を敢えて
残して会社からその責任を糾弾され、失意のうちに
会社を辞める、というストーリーを描いていた。

しかし、そもそも自分にはそんな技術力はないと
悟った瞬間、描いていた夢は瞬く間に雲散霧消、
朝日とともに消える朝露の如く散っていった。
なので今では、ガッツリ副業で儲かって
それが会社にバレて失意のうちに会社を辞める、
というストーリーを虎視眈々と目論んでいる。


力が欲しい。人ったらしのトーク力が欲しい。
もっと言えば、万人を受け入れ、数多の災厄や
受難の日々にも耐えうる懐の深さ、包容力が欲しい。
ただでさえ小さな僕の器はおちょこ程度のもので、
熱燗を注ぎ過ぎたら見る見るうちに溢れてしまう。
見るも無惨なキャパオーバー。熱燗がもったいない。

力が欲しい。霊能力や超能力が欲しい。
今までの流れはガン無視だが、割とガチで欲しい。
そんな能力があれば、それを売りにして反モラル的な
ビジネスを生業にすることもできそうだ。
なんという虚しいだけの厨二的想像力。欲しくない。

力が欲しい。何物にも負けない強い力が欲しい。
ダラダラと自分を甘やかさない自制心が欲しい。
既に賽は投げられている。あとは差し伸べられた
その手を取るだけなのだ。その力は、きっと僕を
遥か遠い高みへと導いてくれることだろう。
今の自分には想像すら及ばない遠い場所へ。

時代はグローバリゼーションへ

今日は人事部と面談があった。

 
なんでも、やはりうちの会社でもグローバルに働ける
人材の育成に躍起になっているようである。
日本人、特に僕のようなミドルな年代の人間なら
大体当てはまると思うが、中学から大学まで割と
みっちり英語の教育を受けていたにも関わらず、
日常会話レベルの英語を話す能力も身に付いていない
人は多いんでないかな。もちろん僕もそうだ。
 
 
なぜ僕が人事部に目をつけられたのか。
その理由は、僕が去年の暮れに中国へ何度も
出張に行っていたからだろう。うちの会社では
海を越えて仕事をしている部署は案外少ないらしい。
そのため、僕のように何度も海外出張を重ねていた
人材はそこそこ目立ったようである。
 
面談前から、およそ人事部の望むような人材では
ないということは僕自身もよく分かっていた。
語学力はおろか技術力もなし。リーダーシップなし。
マネジメント力なし。モチベーションなし。
人事部もとんだ貧乏くじを引き当てたものだ。
 
中国への出張が多かったと言っても、行った先は
割としっかりした現地法人。そこそこ上の方の人は
そこそこ日本語堪能で、会話にそこそこ苦労をした
とは言ってもコミュニケーションはそこそこ取れる。
根気と図説さえあれば会話は成立するのである。
そういう意味では語学力はマストではなかった。
普通の人なら恐らく誰でも出来るような内容だった
ように今でも思う。
 
 
まぁ、面談ではその人の能力ではなく、
本人の意志や意気込み、キャリアプランなどを
合わせて判断するようで、そういう意味では
貧乏くじである僕のような男でも、現地での
防人の対象に充分なり得たのだろう。
 
人「今後、グローバルに働きたいという
  意志はありますか?」
僕「もちろんです。行けと言われたら明日からでも
  赴任します。シンガポールでも中国でも
  ジンバブエでも南極でもどこにでも行きます。
  言葉がさっぱり分からなくても、必ずや
  現地でお役に立てることでしょう。」
人「素晴らしいですね。でもやはり先立つ知識は
  必要だと思います。うちの会社では、
  英語を中心に社員の語学力の底上げを
  目指しております。社内セミナーなんかも
  開催しておりますよ。」
僕「なるほど。でもぶっちゃけ、英語がそこそこ
  話せる人って社内にもそこそこいるのでは
  ないかと思ってます。差別化を図るためにも、
  私は英語ではなく中国語を勉強しようと
  思っています。それこそ私の他にない強み、
  コアコンピタンスとなることでしょう。」
人「おっしゃる通りですね。ぜひ中国語を
  勉強なさって、自己研鑽に励んでください。」
 
 
他にも色々話をしたような気もするが、面談の内容は
概ね上記のようなやり取りだった。うちの会社は
当人の語学力を問う前にとりあえず現地に送り込んで
順応させる、という叩き上げの手法をよくやるクセに
先立つ知識が必要とはよく言ったものだ。
 
中国語の勉強は前々からするつもりだった。
その理由は、グローバルな人材になるためでも
中国人の本音の会話が知りたいからでもなく、
台湾の超絶可愛いLINE友達と距離をつめるためだ。
人間というのは、不純な動機こそが最高の
モチベーションとなり最高のパフォーマンスを
発揮させる生き物なのだから。
 
例の台湾の地震で彼女の安否を心配していたが、
とりあえず無事らしい。時期が時期なので今は
台湾には行かないが、いつか行くその日までに
僕は完璧に中国語をマスターしていることだろう。
 

死に至る病に至る病

今日、職場で死者が出た。

死者と言っても生命的に死んだワケではなく、
立場的に死んだ。一身上の都合による休職だ。

うちの業界は天下のブラックIT業界である。
離職率も高いし心を病んで働けなくなる人も多い。
御多分に漏れず、うちの会社も決して少なくない。
その辺の中小IT人売りドナドナ企業と比較すれば
まだマシかも知れんが、そんなの目糞鼻糞である。


入社してから数年経つが、今日のような戦死者を
僕は今まで職場で何人も見てきた。この記事が
彼らへのせめてものはなむけになることを祈る。

心が病んでしまうのは何故だろうか。
うちの業界はプロジェクトの炎上具合やら
差し迫る納期へのプレッシャーやら半端ないが、
働くことの苦労はどの業界でもあるように思う。
うちの業界だけが特別なわけでは決してないはず。


飲食、介護、小売…僕のような若造には想像すら
できないブラックな職場が世の中にはあるようだ。

僕も学生時代、今はなき悪名高い○ッドウィルで
派遣としてちょくちょく働いていた。ホテル、
パチンコ、工場、警備、引っ越し、土方、etc...
色々ひどい職場で働いていたが、その中で最も
過酷だった職場は廃棄物処理場だ。


収集された空き缶などの資源ゴミの袋の山。
それを開けて一つ一つ種類ごとに分別して
プレス機へ運んでいく。臭いし汚いしゴミは重い。
まさしく3K。ドス黒い三重苦だった。

しかし当時の僕は、この職場でずっと働いて
いるというオッサン達に一抹の尊敬の念を
覚えていた。一体どんな事情があってそこで
働いていたのかは今となっては分からないが、
誰もがやりたくないと思うような仕事を
やってくれている人がいるのだ。この処理場の
仕事も社会の一巡の一部を立派に担っており、
意味のない仕事なんてこの世には何一つなく、
どんな仕事も大切な仕事なんだ、と
僕は割とまじめに感動していた。


…世の中には意味のない仕事もある。
そのことに気付いたのは僕が社会人になってから
だったが、その話は別の機会にするとしよう。

うちの業界に話を戻す。ブルーカラーではない
ホワイトカラーな職場は確かに3K的なつらさは
ないが、深夜にまで及ぶ作業やプレッシャーなどで
精神力と体力が求められる仕事ではあると思う。
おまけに繁忙期と閑散期のアップダウンが激しく、
そういう波に心がポッキリ折れることもあるだろう。

絶望が死に至る病だとか言い出したのは
デンマークの哲学者キルケゴール。そして
ブラック業界は絶望に至る病弊がてんこ盛りだ。
下記は僕の関連エントリー

なんとかならないものだろうか。

春節の爆買い相成るか

帰りがとても遅くなってしまった。
仕事ではなく飲みに行ってたからだけど。

以前のエントリーでも少し触れたけど、
中国は2/7~2/13まで春節という旧正月なのである。
従って、オフショア先の会社も当該期間は休み。
本日、極悪非道で無慈悲で壊滅的な不具合が
検出されたというのに、奴らはのんびり正月休み。
おのれ、忌々しい…。

一昨年ごろから既に定着している爆買いも、
もちろんこの春節の期間に如何なくその
パフォーマンスが発揮されることだろう。
彼らの購買力は今やとどまる所を知らない。
ジャンジャン日本にお金を落としていってくれ。
そして日本の国益にどうぞ貢献してくれ。


そういえば、今日はこんなニュースを見た。

よく分からんけどブランドの序列らしい。
僕はエルメス以上のブランドはよく知らないが、
その頂点はBespoke(特注)。ふざけてんのか。
確かに、テーラーメードこそ最高峰のブランド品、
と言えなくもないが…そういうのは省いてくれよ。


ちなみに中国人たちは、爆買いというだけあって
ブランド品を買い漁るわけではなく、化粧品や
医薬品など安価なものを大量に購入するようだ。
まぁ、目的は日本製品なので当たり前だけど。

高品質の日本の製品を安価に入手したい、という
素朴な理由だけでなく、中国人にとって、日本へ
行って日本製のものを購入するのはある種の
ステイタスで、虚栄心を満たすのも理由の一つだ。


一緒に仕事をしてる中国人はみんないい人だ。
(裏ではなんて言ってるかは分からんけど)
爆買いにしても、日本への憧憬の念があることは
なんとなく感じ取れるし、それは一部事実だろう。

しかし、まだ記憶に新しい尖閣諸島をめぐる問題、
南京大虐殺ユネスコの記憶遺産に登録された問題、
他にも勝手に人工島をパカパカ作ったり、何かと
目障りなニュースで世間を騒がせる国でもある。

正直言って、中国が日本に対してどんな感情を
抱いているのか、僕にはサッパリ分からない。
好きなのか嫌いなのかハッキリしてくれと言いたい。
でなければ、中国に対してどんな感情を抱くべき
なのかも分からない。いったい何が真実なんだ。


以前何度か中国に出張に行っていたが、その際に
中国語を少し(本当に少しだけ)勉強した。
早く中国語をマスターして、中国語を知らない
日本人のふりをして中国人たちの本音に対して
聞き耳を立てることが僕の当面の目標である。

…晚安。

パブロとブルーノの物語

北朝鮮の長距離弾道ミサイルのニュースで
世の中が騒がれている中、僕は本日、
知人の紹介であるセミナーに参加してきた。
「ラットレース脱出セミナー」とやらである。
北朝鮮の話は今回のエントリーに全く関係ない。

 上記リンクは某運営メンバーのサイト)


午前中はキャッシュフローゲーム会
午後は、ゲームを現実世界に適用していくには
どうすればいいかといった内容である。
とは言っても、実践的な行動の話ではなく、
あくまでその前段階、必要な考え方についてだ。

最近はこういう金持ち父さんイズムな内容からは
距離をおいていたが、久々のセミナーだったので
いいリハビリになった。


「パブロとブルーノ」という寓話をご存じだろうか。

水資源が枯渇した、ある一つの集落があった。
この問題を解決すべく、山奥の泉から水を運搬する
若者を村長は募った。そこで名乗りを上げたのが
パブロ、ブルーノという二人の若者である。

ガテン系のブルーノはバケツで水を汲み、
泉から集落まで愚直に手で水を運んでいく。
当人はこの仕事に満足し、稼いだお金で
好きなものを買って幸せに過ごしていた。

一方パブロは、手で運ぶという労働収入の限界を
早期に見抜き、泉から集落まで水路を引くという
方法を閃いた。日中はバケツで水を汲むという
労働に従事しながらも、空いた時間はすべて
水路の構築に時間を費やした。周囲の人間から
「水路?何を夢みたいなことを言ってるんだw」
と嘲笑され、当然ながら着工当初は目に見える
成果は全くないにも関わらず、諦めないパブロ。


やがて水路は完成した。
そしてその頃には、パブロとブルーノの二人の
間には圧倒的な差が開く結果となった。

水路の確立という一大事業を成し遂げたパブロは
もう重労働に従事する必要はなく、働かなくても
集落に水は流れ続け、パブロの懐には際限なく
収入が入っていく。一方ブルーノは、ひとたび
労働を辞めれば収入が完全に断たれてしまう。
体力的にもつらい。でも怪我も病気もできない。
今も息を切らせてバケツで水を汲んでいるという。


そんなお話である。
あくまで寓話なので、シリアスな突っ込みはナシ。

下記の動画が分かりやすいのではないかな。



このブログでたびたび取り上げている
ロバート・キヨサキ氏の著書である
金持ち父さんのキャッシュフロークワドラント
でも、上記の寓話は取り上げられている。
(登場人物の名前はなぜか違うけど)

「私は今、懸命に働いているのだろうか。
 それとも賢明に働いているのだろうか。」
金持ち父さんシリーズのメインテーマともいえる
労働収入と権利収入の差を表現した金言である。

こういったお金の話をテーマにエントリーを
書くのは久々だ。やっぱお金の話は面白いな。
今後はもっとこういう内容も増やそうかな。

死んだ魚のように逞しく

昨日は飲み過ぎた…
コンパに行ったのは久々だった。

うちの部署では去年結婚ラッシュがあったが
実はその陰で離婚ラッシュも相次いでおり、
人肌の温もりに飢えた寂しい男たちにより
連日連夜コンパが繰り広げられているという。
そして昨日、とうとう僕も声を掛けられたわけだ。

コンパの中身はと言えば、決して相手が悪かった
わけでもないし楽しくなかったわけでもないが、
特筆すべき点もないのでその辺は割愛。
僕のやる気のなさを見抜かれたのかもしれないが、
今後に繋がる展開も期待できないだろう。あらら。


執り行われているコンパの話や後日談を聞くと、
その中にはネットワークビジネスの勧誘も
ちょくちょく見られるらしい。よくある話だ。

僕も外で色々な人に会っていたためか、
ネットワークビジネスをしている人と
会う機会は結構多い。僕の立場を明らかに
しておくと、ネットワークビジネスを始めとする
サイドビジネスには基本的に大賛成である。
僕自身やってるわけじゃないけど。

こんなご時世だ、給与所得だけでなく
複数の収入源を確保しようとする姿勢が
間違っているとは思わない。


ただ、権利収入に酔い知れた若者たちが
サラリーマンを馬鹿にしている態度には
僕は少しも賛同していない。なぜなら
この国に住まうすべての人々はサラリーマンの
恩恵を必ず受けているはずなのだから。

社畜乙」
「みんな死んだ魚のような目をしている」

「何が楽しくて生きているのか分からない」
そんな感じの揶揄も耳にすることがある。
確かに僕も、そんな疲れ切ったサラリーマン
として生きていくことが嫌で色々社外で活動を
していた身だ。気持ちはよくわかる。


しかしサラリーマンと一口に言っても、世の中
そんなくたびれたオッサンばかりじゃない。
自分の狭い世界のたった一部分を見ただけで
それが全体であるかのように勝手に決め付けて
揶揄するのは浅ましいと僕は思う。

社畜と馬鹿にするのはその人の勝手だ。
では社畜でない人はいったい何なんだ。
家畜でも社畜でもないならただの畜生ではないか。

死んだ魚のような目…確かに電車の中では
そういうサラリーマンもいるだろう。でも
そんなのはサラリーマンに限った話じゃないし、
誰だって疲れていればそういう表情を見せる
こともあるだろう。何より僕は、電車にいる
すべての人の目がキラキラしているような
世界は想像できないし、見たいとも思わない。


キラキラしている人たちは時々眩しく映る。
真昼の空の太陽のように、強く明るく暖かい。
でも、日の光に晒されたくない時だってある。

今日も平和だ。世界はゆっくり進んでいく。
眩い喜びもあれば昏い喜びもあるのがこの世界。
とりわけ日本は国民性として昏い喜びに行きがちだ。
僕はゴシップが大嫌いだけど、他人の不幸に
蜜の味を覚える背徳的な感情は理解できる。

キラキラした生活とやらに僕が惹かれないのは
僕の問題なのかもしれないけれど、それでも
たぶん、今後も僕の考え方は変わらないだろう。


僕の辿ったパソコン遍歴

鴻海によるシャープの買収騒動、
東芝は過去最大の赤字計上、その他の
メーカーも相次ぐ決算見通しの下方修正…
メイドインジャパンは大丈夫なのだろうか。

特に東芝は、会社のPCとしても使ってるし
家のPCも東芝なので、公私ともども
贔屓にさせていただいているメーカーだ。
なんとか持ち直してほしいと思っていたが、
富士通VAIOとPC事業を統合するとか。


僕は小学生の頃からPCを使っていたが、
ソリティアとペイントぐらいだけど)
その当時はIBMThinkpadを使っていた。
PC事業をRenovoに売り渡す前だった当時、
ノートPCといえばみんなIBMThinkpadだった
ような気さえする。気のせいかも知れんけど。

その後、初めて本格的にPCを持ち出したのは
大学生に入ってからで、あまり分からないまま
大学生協でオフィスソフトと抱き合わせで購入。
たぶん東芝dynabook CXシリーズだったと思う。


もう12年くらい前の話なので今のPCと比べたら
へぼへぼスペックだけど、当時は快適に活用
していた。勉強にサークルに大活躍だった。
酷使しすぎたせいか後半はブルースクリーン
連発してえらいこっちゃだったが。

大学院まで含めて6年間使用したが、ついに
寿命を迎えて臨終。新しくPCを探すことに。

その後は購入したPCは、台湾製
ASUS(エイスース)のU30SD。


当時の状況で言えば、スペックとして申し分ない。
社会人1年目の当時、会社でガッツリ作業をした後
帰宅後も再び家のPCを起動。ひねもすPCの前で
何らかの作業に明け暮れていたのが懐かしい。
まぁそれは今でもそうだけど。

そして去年の夏、5年間寝食をともにしてきた
U30SDの無線LANのドライバが死亡。なむなむ。
仕方なく新しいPCを探して見つけたのが下記。
東芝Dynabook R93/PB。


まさかの東芝Dynabookへの回帰である。
ASUSのU30SDと比較すると物凄く高かったが、
他のメーカーと比べると安いのなんの。さすが東芝
CPU、SSD、光学ディスクドライブ、コンパクトさ、
そういった条件に完全に合致したのがこれだった。

いやー素晴らしい、快適快適。
どうやら僕はデスクトップPCは欲しくないらしい。
持ち運べるし、寝ながらゴロゴロ操作できるしね。


…今日はネットで購入した外付けHDDが届いたので
その内容を書こうと最初は思っていたのに、なぜか
自分のPC遍歴を晒しているのだから摩訶不思議だ。

さて、今日から中国は春節
あんま関係ないから寝ーようっと。