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仕事、投資、技術メモ、オカルト、その他クソミソな趣味や日常についてあれこれ綴る、日記帳というより雑記帳。忘却の彼方に置き忘れた夢と情熱を求めて彷徨中。

SIer辞めました

新卒からおよそ10年務めたSIerを退職した。
退職日は12月末だが有給が溜まっていたため
本日が最終出社日である。せっかくなので、
退職エントリーを書いてみる。

つらつらと書き始めたらクッソ長くなった。
なので、とりあえず目次もつけてみた。
おヒマな方はお付き合いくださいまし。

 

 

前職

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大手SIerシステムインテグレーター)。
最近ではテレビCMを打ち出したり、
Yahoo!ニュースでも増収増益の企業として
取り上げられたり、今まさしく
ノリにノッている勢いのある企業である。

東京の新オフィスはモダンなデザインで
グループアドレスを取り入れており、
テレワークの普及率も高い。人によっては
最高に働きやすい環境だろう。

そんな環境を手放し、まったく新しい道を
選ぶようになった経緯も合わせて、
入社時から時系列で整理してみたい。

 

アプリ開発という名の遺跡

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新卒で入社してすぐ、金融系の
システム開発の部署に配属された。
今も現役で動いている、古の遺産である
メインフレーム環境の開発である。
元々金融業界を志望していたこともあり
最初こそ面白いと感じていたが、次第に
今の環境に違和感を覚えるようになった。

同期はと言えば、業務アプリなので流石に
そこまでイマドキな開発ではないとは言え、
Strutsフレームワークを使いJavaアプリの
開発をしていた。それが、こちらはどうだ。
TSOでホストにアクセスし、1行80カラムの
世界でCOBOLプログラムをコンパイルし、
JCLとEASYで年に1度だけ動く巨大なジョブを
作成し、膨大なテストを必死でこなす日々。

自分がしたかったことは何だったのか、
答えのない自問自答の日々が続いた。
ロストテクノロジーと言って過言ではない、
古代遺跡の調査と採掘を生業にするのか。
技術を身に付けたくて入った会社なのに、
枯れた技術しかこの先も身に付かずに
埋もれていく未来を想像しては、
絶望的で昏い先行きに酷く怯えた。

メインフレームの開発を続けることに
意義を見出せなくなり、オープン系の
開発チームに移ることを嘆願した。

 

古き良き牧歌的悪魔的時代

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希望は叶い、晴れてオープン系の
開発チームに移った。同じく金融系の
業務アプリであり、Web系ではない
C/S構成のアプリだが、それでも
メインフレームよりは幾分かは
マシな環境で開発できるようになった。

非常に特殊な業務を扱っているアプリで、
数学的な素養も求められるシステム。
当時の自分の経歴にもフィットしており、
ここでなら開発業務を続けていけるだろう。
その時はそう思っていた。

綻びを感じたのは開発が佳境だった夏の日。
未経験のシステム、初めてのPL、という
慣れない環境だった事もあり、開発現場は
凄惨を極めた。当然、定時には帰れない。
長年の保守開発により負債が積み重なった
ソースコードは歪に成長し、少し揺らせば
崩れてしまうジェンガのようだった。

当時は法令違反となる残業時間の壁も低く、
月100時間がボーダーだったと記憶している。
いつも36協定や法令のラインすれすれを
攻めるような開発を続け、休日出勤も増え、
深夜2時頃まで残業する日が続き、
体と心は少しずつ蝕まれていった。

もっとも、当時はそれくらいの勢いで
働くのはそれほど珍しい話ではなかった。
(他所の部署のもっと酷い話も当時聞いた)
僕もまだ若かったし体力もあった。

ただ、以前に開発PLをしていた上司から、
リリース後に問題が発生したため、
予定していた
ネムーンをキャンセルした
という武勇伝を聞かされた時、そう遠くない
未来に自分はこの会社を辞めるだろう、と
なんとなく思っていた。

 

囚われのビジネスロジック

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過酷な開発現場が続いたものの、人間の
順応力は侮れないもので、数々の汚濁に
目を瞑りながら開発の第一線を生きた。

ある年、そのシステムは大型案件として
ソースコードの全量更改を迎えることに
なった。風が吹けば倒れてしまうような、
絶妙なバランスで成立していたシステムを
刷新することが出来る絶好の機会だった。

その期待はあっさりと打ち砕かれる。
顧客予算の都合で、ソースコード
リファクタリングが行われることもなく、
汚染されたソースコードをそのまま
マイグレーションツールにより別言語に
コンバートする、という方針となった。
(ツールにより汚染が一層進行した)
そもそも、テストコードもCI/CDもない、
純然たるレガシーシステムである。
リファクタリングなど出来るはずもない。

おまけに、その対応はオフショア先に
発注することになった。単純にコンバート
するだけならまだよかったが、変換に際し
オフショア側でビジネスロジックを一部
ラッピングされ、今後の保守開発では
自前で開発を行うことが部分的にできず、
オフショア先に頼む他ない状況になった。

その時の案件を問題なく終わらせる、
という刹那的な目標だけならそれでいい。
だが、それを保守していくのは誰なのか。
なぜ、保守・運用の負担が増えることに
少しも想像を巡らせる事ができないのか。
曲がりなりにも自前で連綿と続けてきた
システムのビジネスロジックを、他国の
人質へ出すような真似がなぜできるのか。

積もりに積もった負債を一新する絶好の
機会を棒に振ってより一層煩雑化させ、
あまつさえソースコードを人質に出し、
オフショア先に首根っこを掴ませる。
もはやマネージャに対する期待は何もなく、
ただただこの組織を去ることだけを考えた。

大型案件は最終的に無事に完遂され、
カットオーバーを迎えた。その後、
システムの保守担当に命じられた時、
組織を去る決意をした。

 

インフラという蜘蛛の糸

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組織を去る、とは言っても、当時は
やはり転職することに抵抗があった。
そこで、インフラの部門に公募で
異動することが出来た。その辺りの
状況は以前の記事にも書いた通り。

異動した当時は本当に楽しかった。
ギークでイケイケなメンバーに恵まれ、
クラウド構築構築など案件にも恵まれ、
異動してよかったと心から思っていた。

そもそも、アプリ開発の部署の人間は、
その技術知識が偏っている人間が多い。
業務知識・業務アプリの開発知識が
メインになっているせいか、ハードウェア、
ネットワーク、ストレージ、データベース、
そもそもOSすらちゃんと分かっていない
人間のなんと多いことか。

業務エンジニアの病弊はここにある。
ニッチな領域の場合は特に顕著だ。

求められるのは、顧客の業務知識と
パートナー企業を使役する能力である
場合がほとんど。技術を求めてやってきた
人間が、そんな環境で腐らずにいつまでも
留まり続けることなどできようはずもない。
だから、そうした組織は若手離れが進み、
高齢化が進んでプロパーは弱体化していく。

最近では管理職でなく技術職としての
道も用意されているとは言え、やはり
管理者へ誘導するようなキャリアプラン
なっている場合がほとんどだと思う。
それも、TrelloやJiraのような管理ツールも
使わず、旧態依然としたExcelによる管理。
(無論、Excel管理がすべて悪ではないが)
結果としてOffice製品を使いこなす技術は
身に付くが、自然と技術者の道からは
遠ざかってしまう。技術者・開発者が
ヒエラルキーの最下層に属している事は、
SIの世界では疑う余地もない事実だと思う。

そうした組織に埋もれていた反動か、
インフラの部署は新鮮で面白かった。
業務知識など一切求められず、純粋な
コンピューターサイエンスを学ぶことが
出来る楽園のように感じられた。

このまま、いつまでも、
この会社のこの部署で
仕事をしていきたい。

当時はそう思っていた。

 

零れ落ちた一抹の不安

インフラの部署に移ってからの仕事は
楽しかったし、辞めた今もそう思ってる。
レガシーシステムに囚われることもなく、
AWSやAzureといったモダンな構築案件を
担い、時にはアプリにいた経験を活かして
PythonPowerShellスクリプトを組んで
運用の自動化を行ったりもして、充実した
仕事を続けることが出来ていた。

だがそれと同時に、年々仕事の負担が
高まっていくことも肌で感じていた。
インフラというクリティカルなレイヤーを
扱っている性質上、プレッシャーで
身を削られるような案件も担当した。

様々な技術を扱えるのがインフラ部署の
面白さであるのと同時に、未知の技術を
扱う事の心労。一歩間違えれば重傷害を
引き起こしてしまう恐怖。それでも
案件としては小規模であるため、計数や
障害も含めて一人一人が担う責任感。
スリルとリスクで神経を根こそぎ
持って行かれる日々が続いても、
アプリ部署にいた当時より遥かに
マシな環境だったため、なんとか
自分を騙し騙しやってこれた。

そんな状況で、インフラ部署で案件推進を
続けていた最中、当時の部門長が辞職した。

何も珍しい話ではない。仕事柄、様々な
理由で職を去っていく人間は多い。
それでも、その事実は少なからず心に
幾許かの影を落とした。そしてそれからも
何人もの人間が一人また一人と辞めていき、
組織も少しずつ変わっていった。

僕も企業に新卒で入社してから、無能な
人間が去っていく場面は何度も目にした。
そして、非凡で優秀な人間が去っていく
場面も、それと同じくらいの頻度で
目にしてきたことに気付かされた。

アプリ部署で辣腕を振るった部門長。
ベンチャー企業とのブリッジ技術者。
Oracleスペシャリスト。
社内屈指のアーキテクト。

傍から見れば順風満帆に見えた人達も、
この会社に居続ける事より、他の道を
選んだという事実が心を揺さぶった。

他に魅力的な選択肢があるのは分かる。
やりたいことなんて十人十色なわけで。
それでも、この会社は、優秀な人間を
留めておけない会社である、という
事実を痛烈に突きつけられた。残された
人間たちは、それぞれがそれぞれの
決断をするまで、この会社の中で
命と心を削る覚悟でその身を捧げ
続けなければならないのだろうか?
そんな一雫の疑念が首をもたげた。
まるで自分が、蠱毒の壺の中の
羽虫であるかのような錯覚を覚えた。

 

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そして、転職を真剣に考える
契機が間もなく訪れる。

 

上司や組織へ募る不信感

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2021年に入ってからは特に、
厳しい案件が立て続けに入った。

技術的に難しい案件ではあったが、
それより一番参ったのは体制的な部分。
2021年から上司についたPMは、
立場の強い人間には殊勝な態度で接し、
部下に対しては小馬鹿にした態度で
責任転嫁を繰り返す人間だった。
一技術者としては信用できるが、
人間としては一切信用できない。
政治家のように立ち回るか小狡く、
自分がいかに責任を追及されない
立場でいられるか、ということばかり
考えて仕事を進めているように見える、
保身の塊のような上司。

もっとも、その上司も決して悪い
人間ではないことは分かっていた。
相談にはちゃんと乗ってくれるし、
プロジェクトの方針も考えてくれる。
ほんの少しコミュニケーションが
取りにくくて隠蔽体質で、ほんの少し
言わなきゃ何もやらない気質で、
ほんの少し肚が据わっていない
だけなのだ。人によってはやりやすい
場合もあるかも知れないが、自分に
とっては絶望的なマッチングだった。
不幸な巡り合わせと言う他ない。

上司以外の環境もつらかった。
ろくな経験もないクセに年ばかり
食ってるせいで無駄に単価が高い
パートナーを使わざるを得ない体制。
このパートナーも、可能なら早い段階で
切りたかったが、その場合はまた新規
パートナーを調達しなければならず、
そのコストを考えると、妥協して
参画してもらうしかないと考えた。
(この判断は本当に間違っていた)

信用できない上司、扱いづらい
パートナー、難易度の高い案件。
組織内に相談したところで、何も
変わらないだろうという諦観と絶望。
そもそも、声を上げる事で上司に余計な
負担をかけてしまうのではないかと
感じて遠慮してしまうようなレベルの
組織としての心理的安全性の低さ。
そういった状況が、自分の心を
急速に消耗させていった。

同年、組織内で数々のプロジェクトが
不芳化を起こした。綱渡りの状態で
運営されていたアラが一気に噴き出し、
組織の計数的にも厳しい状況となる。
障害対応や再発防止策のために多大な
工数がかかり、時にはフロア内で
怒号が飛び交い、顧客からの信用は
失墜して地を這い、気と心を病んで
休職する人間も出た。

こういった状況に陥ってしまうまで、
それぞれのプロジェクトがギリギリの
状態で持ち堪えていただけで、いつ
瓦解してもおかしくない状況だった。
にも関わらず、それを組織に対して
忌憚なく声を上げられないこと自体、
組織が抱える問題の根深さと闇を
窺い知ることが出来よう。

元より、組織に対して思う所はあった。
うちの組織は保守運用もなく、固定客や
既存システムの保守開発も行っておらず、
本当にド新規のインフラSI案件ばかりを
ミッションとしている組織だ。
そのため、持続的な売上・利益はなく、
予算を達成するためには常に案件を
獲得し続けなければならない、一切の
農耕を放棄した狩猟民族の部署だ。

その狩猟に戦略があればまだよかったが、
ただ案件の引き合いがあるから提案して
獲ってるだけ、という姿勢にしか見えず、
戦略も見境もないように感じられた。
インフラSIと一口に言っても、技術的な
裾野は広い。何かしらの尖った技術に
特化しているわけでもないので、良く
言えば万能、悪く言えば器用貧乏。
それに、インフラの技術も日進月歩で、
流行り廃りのサイクルも早い。
そのため、組織の中でナレッジが蓄積
されてもすぐに風化してしまい、結局
個人の技術力に依存する個人商店の
巣窟のような組織となってしまう。

更に言えば、世はクラウド戦国時代。
今でこそクラウド構築案件で飯が
食えているが、そもそもクラウド
アプリ技術者がインフラを意識せず
開発できることこそが醍醐味で、
アプリ側でクラウド技術者が育てば
インフラ側の希少性は忽ち失われて
しまうことになる。そうしたときに、
また新しい狩場を見つけていくのか?
この自転車操業のような果てしない
狩猟生活を、一体いつまで続けていく
つもりなのだろうか?

度重なる案件の不芳化。不健全な体制と
組織運営。インフラSI開発部隊の宿命と
未来に対する葛藤。これらの根っこの
問題と苦悩は、SIerという組織として、
開発の第一線にいる以上は逃れられない
問題だという結論に至った。アプリから
インフラへ流れ着いたエンジニアは、
結局公募による異動では、安寧の地を
得るという悲願は叶わなかった。

2021年の6月、転職サイトへ登録した。

 

転職活動という無理難題

SIerという職種に絶望して転職活動を
開始した以上、同業他社という選択は
自分の中ではあり得ない、と考えた。
当然の話である。

昔の自分なら、尖った技術を使って
バリバリ開発が出来る若いベンチャー
企業を希望して転職活動しただろう。
しかし、以前の記事でも書いたが、
僕はとうの昔に技術者として
終わりを迎えていたことを知った。

それに、相応に齢も重ねた。もはや
技術に夢を見ることができない程に
心は老いさらばえ、時間を削って
技術に身を捧げるような気概など
露ほども残っていない。そんな自分に
できることなど、たかが知れている。
ベネフィット部門から一線を退き、
情シスのようなコスト部門で余生を
過ごしたい。そんな想いから、大阪の
社内SEに絞って転職活動した。

しかし、在職中の転職活動、やってみると
これが思いのほかキツい。転職活動と
言えば業務後の時間帯にするもんだろ、と
高を括っていたが、エージェントによると
面接の時間帯として業務後を指定すると、
企業によっては悪印象を持たれる、
とのこと。ふざけるな、と言いたい。

昨今はテレワークが進んでいるためか、
すべて在宅で完結するような企業もある。
しかし、だからと言って通常の業務時間に
面接のスケジュールを入れていくのは
案件を抱えているとかなり厳しい。多少の
融通を利かせることはできるが、ポンポン
時間休や中断を入れられるものでもない。
選考が進んでいった場合はオンサイトでの
面接になる企業も多いし、何なら最初から
オンサイトでの選考のみの企業もある。
その場合、移動も含めると半日ほど時間を
取られてしまい、業務に空ける穴も必然
大きくなる。

なかなかスケジュール調整に苦労し、
面接に漕ぎ着けたとしてもWeb面接特有の
距離感にも苦戦した。少し余談になるが、
Web面接の利便性それ自体は否定しないが、
オンサイトの場合と異なり、画面越しでは
見えない部分、例えばその人の佇まいや
雰囲気、企業に対する前のめり感や情熱、
そういった部分はすごく伝わりにくくなる
ように感じられた。PCや周辺機器、照明、
部屋のレイアウト等にも左右されるし、
便利とは言うものの、オンサイトなら
また違う結果になったかもな、という
思いも拭えなかった。

まあ、上記はすべて言い訳だ。アプリ・
インフラ両方の経験があり、オンプレ・
クラウドにも対応できる自分の経歴なら、
転職活動もそれほど苦労しないだろう、
と甘く考えていた。しかし、社内SEの
門戸は狭い。元々求人数が少ない上に
競争率が高く、そのうえ社内SEの求人は
割とピンポイントな求人である場合が
多い。例えば、CCNPを持っている
ネットワーク管理者だったり、SAPの
保守・運用経験がある人間だったり、
今ならDX推進が出来るような人間を
求めている企業もそれなりに多い。

その中で、自分はアプリ・インフラを
中途半端に齧っただけの人間でしかなく、
企業の御眼鏡に敵うケースはほとんど
なかった。最終的に、16社ほど受けて
内定をいただいたのは1社のみ、2021年
7月末にオファーをいただくことができた。

内定をもらってから、2~3か月で次職へ
移ることが通例らしい。しかし、当時
抱えていた案件は2021年10月末まで
続く案件であり、案件の途中で中途半端に
降りるような真似はしたくない。それに、
案件が終わったら貯まりに貯まっている
有給休暇も消化したい。ついでに言えば
12月のボーナスも欲しい。なので、
勤務開始は年明けの1月から、という
方針で内定企業にダメ元で打診してみた。

もしこれで断られてしまった場合は、
元より縁のなかった企業だとして
諦めようと思っていた。そして、
その結果の如何を問わず、転職活動自体
終了するつもりだった。期間にして
2か月程だったが、在職している状態で
続けることによる負担は大きかった。
もしも転職活動に失敗したその時は、
現職に骨を埋める覚悟で頑張ろう。
もう、どちらに転んでも構わない。
そんな気持ちだった。

 

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結果として、こちらの要望は全て
受諾された。完璧な退職タイミング。
望んでいた職種。向上する待遇。
断る理由は何もない、そう思った。
2か月程かかった転職活動は、
無事に終えることが出来た。

 

次職

大阪の某・医療機関で、念願の社内SE、
それもDX推進とかイケイケな課でなく、
あくまでインフラ面でのサポートの課。
自分のような、技術者にも管理職にも
なれない人間が、落ち着くべき末路に
落ち着いた、それだけの話である。

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よしたにまことさんが言うように、
SIerの人間の中には、ユーザー企業側に
移ることを夢見ているケースは多い。
ただし、情シスがラクなのかというと、
一概にそうとは言えない。ベンダーの
コントロールOA機器や什器等の管理、
基幹システムの法改正対応などなど…
SIerのような客商売とはまた違った
難解さ、煩雑さが伴う業務である事は
想像に難くない。

また、次職は組織全体がレガシーだ。
社内システムもオンプレDCでの
テープバックアップ、医療機関という
性質上テレワークの普及率も低い。
そんな環境から脱却したい、という
思いがあることは面接で部門長と
話した時に感じられ、クラウド移行や
Microsoft365の導入などにも非常に
意欲的だった。部門長の懐刀として、
環境の効率化・最適化のために死力を
尽くしたい。腕が鳴るというものだ。

情シスに求められる役割は途方もなく
広い。情シスは、冗談抜きで会社の
システムを(引いてはすべての業務を)
ものの30秒で爆破できる。情シスは、
PCやシステムに疎いユーザー部門から
何でもかんでも相談されるので、
御仏のように広い心が必要とされる。


まず、1年くらいはサポートに徹して
業務全体と職場の雰囲気・課題を掴み、
ゆくゆくはシステム企画的な業務に
携わっていけたらいいな、と思ってる。

 

最終出社日

やるべきことをすべて終え、社員証
社用スマホを返却し、荷物をまとめて
職場を後にした。世話になった人達には
小倉山荘の御礼品を配ってまわった。

18時ごろ、今後は二度と訪れることが
ないであろう職場のビルを見上げ、
誰にするでもなく静かに一礼する。

 

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御堂筋では街路樹のイルミネーションが
始まっていて、随分長い年月をここで
働いてきたんだな、と感慨が湧いた。
新卒で入社してから10年間の記憶が
脳裏を目紛るしく駆け巡っていく。

大阪の同期たち。昭和のノリの宴会。
炎上した案件。喧嘩しまくった上司。
結婚して子供も生まれ、増える重圧。
慕ってくれた後輩。消えていった先輩。
未熟だった自分。少しは成長した自分。

「寂しい」という思いが胸に込み上げて
きたことに自分で驚いた。会社に何の
未練もないつもりでいたが、どうやら
自分で思っていたより会社に対して
愛着があったようだ。それもそうか。
最後に所属していたインフラ部署の
メンバーは、(直属の上司を除いて)
本当にいい人たちばかりだった。

自分に期待してくれていたことも
分かっていたし、できることなら
今のメンバーと一緒に仕事を
続けたかったし、組織長が目指した
「日本最強のインフラ部隊」という
夢の果てを共に追い続けたかった。
惜しむらくは、自分にはその適正と
覚悟がなかったということだ。

ここで過ごした10年間を無駄に
しないように、次の職場は気を
引き締めて臨みたい。頑張ろう。


そして、しばしの休息に入る。
とりあえずはお疲れ様でした。

2ヶ月間の休みか…何しようかな。