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仕事、投資、技術メモ、オカルト、その他クソミソな趣味や日常についてあれこれ綴る、日記帳というより雑記帳。忘却の彼方に置き忘れた夢と情熱を求めて彷徨中。

犬と雨のワルツ

今日から明日まで滋賀県の実家に帰省している。
実家に原付を置きっぱなしで放置していたせいで、
転居したなら速やかにナンバープレートを持って
現住所の市区町村へ行き、然るべき届け出をしろ
という通達がなされたからだ。ナンバープレートを
実家まで取りに行かなければならなかった。

自業自得だが、めんどくさい。
そのうえ今日は雨。いっそう億劫な気持ちになる。


僕の実家では犬を飼っている。
犬種はチワワ、今年で14歳になった雄の老犬だ。

僕は実家暮らしが長かったので、この犬と一緒に
過ごした期間が長い。生後すぐにうちの家に
引き取ったので、生まれてからずっと一緒だった。


人望はおろか犬望もなかった僕は、何度か
甘噛みではなくガチ噛みされたこともある。
その犬にとってのヒエラルキーでは、僕は
犬以下の人間と格付けされていたのだろうか。
学生時代も新社会人時代も、何度となく散歩に
連れていってやっていたというのに、その恩を
すぐに忘れる。リアル版「飼い犬に手を噛まれる」
は割と笑えないから困る。所詮チワワだけど。

散歩の最中も、例えば地面をペロペロ舐めたり、
人様の玄関の真ん前でウ○コをしたり、と
なかなか苦労したものである。犬はやはり犬、
何度ダメだと叱っても懲りずにまた繰り返す。
うちの犬はなぜかウ○コは家の犬用トイレではせず、
外でしかウ○コをしない。なので、雨の日も雪の日も
ウ○コをさせるために必ず散歩に連れていかなければ
ならなかった。本当に手のかかる犬だった。


久々…とは言っても、正月に帰省しているので
それほど久々感はないが、実家に帰ると変わらず
母と犬が迎えてくれる。母はまだ元気に見えるが、
犬はやはり年なのだろう、以前よりずっと大人しい。
昔ならキャンキャン吠えて無駄に駆け回って
うるさくて敵わなかったが、今では全く吠えないし
毛布の上でじっとすることが多くてあまり動かない。

我が家では犬の散歩の時間は夕方と決まっている。
久々の散歩。以前なら勢いよく駆け降りていった
階段も、今では一段も自力で降りれないでいる。
仕方なく抱きかかえて舗道まで出ても、少しも
歩きたがらない。土砂降りの中、犬が濡れないよう
傘に守られた領域を犬に譲りながら、少しずつ
犬の歩みを進めさせる。

懐かしい散歩道。
他の犬を見つけては手綱を引っ張りまくり、
帰ろうとしても帰りたがらず僕を困らせた
あの頃が思い出される。そして、そんな昔の姿と
今の年老いた姿を重ね、少し胸が苦しくなる。
犬が過ごす歳月は人間のそれよりずっと短い。
自然の摂理に逆らえないことは頭では分かって
いても、やりきれない気持ちに襲われてしまう。


不意に、犬が足をとめた。
少し腰が引けているこの姿勢は、ウ○コのサイン。
そしてその場所は、人様の玄関の真ん前だった。

慌てて止めようと思った。だけど、僕はそれを
止めることができなかった。実家を出て以来
見る見る年老いていった愛犬が、あの頃と
同じように手のかかることをしようとしている。
最近は便秘気味だと母が言っていた。だから
今回の散歩では、外でウ○コをしないかも知れない
と思っていた。なのに、ちゃんと外でもよおして、
飼い主である僕を安心させてくれているような
気がした。その姿がなんだかたまらなく愛おしくて、
思いがけず目頭が熱くなった。


「よくウ○コできたね、えらいね」
そう言って犬を誉めた僕は飼い主失格なのかも
知れない。でも今日だけは僕の弱さを許してほしい。

速やかにウ○コの処理をした僕は、ティッシュで
犬のおしりを優しく拭いてあげた。すると犬は、
もう散歩の目的は達成したと言わんばかりに、
その後一歩も動かなくなった。仕方なく僕は、
ビショビショになった犬の体を抱えて家へ帰る。
濡れているのに、ずいぶん軽くなった事に気付く。


犬を抱きながら、帰り道にふと考える。
この先あと何回この犬と散歩ができるのだろう。
それを思うと、なんだか散歩が終わるのが
もったいなくて、家に帰りたくないような
不思議な葛藤が沸き起こって足を止めた。
駄々をこねたってしょうがないのに。

依然として強い勢いの雨が傘を叩きつけ、
「バラバラ」と小気味いい音を立てる。
この降りしきる雨音が、寂びた心を慰めて
くれている気がした。少し可笑しくなって、
僕は再び家へと足を進めた。

今はまだ元気でいてくれている、
この小さな犬の体温を感じながら。