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仕事、投資、技術メモ、オカルト、その他クソミソな趣味や日常についてあれこれ綴る、日記帳というより雑記帳。忘却の彼方に置き忘れた夢と情熱を求めて彷徨中。

よく払い、よく怒れ

知り合いのツテで税理士先生に会ってきた。
不動産を持っているにも関わらず確定申告を
サボってきた僕は、意を決して確定申告を
することにした。どうせ避けては通れない道だ。
せっかく買ったのにもったいないしね。

サラリーマンであれば、源泉徴収という仕組みで
給与から税金が自動的に天引きされている。
なので、あまり納税という感覚はないのが普通。
確定申告をしなくても年末調整という形で
勝手に還付される。本当に素晴らしい仕組みだ。


自営業者や社長さんは従業員なんかより
よっぽど税金の仕組みに精通している。
そして、おしなべて節税に余念がない。

大企業の節税スキームと言えば、我らがGoogle
AppleAmazon.comも大々的に行っている
「ダブルアイリッシュ&ダッチサンドウィッチ」
なんかは有名な手法なのではないだろうか。
噂によると、ダブルアイリッシュについては
去年の税制改正で実質終了したらしいけど。


すげぇ仕組み。よく分かんないけど。
節税のためにここまでやるんすか、先生。

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大企業でない中小企業でも、ある程度あるいは
それ以上の節税努力をしていることだろう。
個人でも不動産を所有している人、あるいは
ビジネスを行っている人であれば、必ず
確定申告を行うべきだ。そう、僕のように、
速やかに税理士先生に相談することを推奨する。


…まぁ、ここまで書いといてなんなんだけど、
個人的には、儲かっている人はある程度は
多めに税金を納めるべきだと考えている。
全ての国民は必ず税金の恩恵を受けているんだから。
それに、そもそも納税は国民の義務だしね。

節税は悪ではない。悪いのは、知っている人なら
誰でもパカパカ節税が出来てしまう仕組みだろう。
国が定めた法律には、意外なほど抜け穴が多い。

税金をしっかり払い、税金の使われ方をしっかり
考えるのが国の正しい在り方ではないかと思う。
正直者が馬鹿を見る社会なんておかしいじゃん。
相互扶助という考え方は素晴らしい概念だ。
(怠け者を増産するという負の側面もあるけど)


…なんて意識高い系のエントリーなんだ。
僕ももう少し政治や経済に興味を持とうかな。

4枚目のカード

死ぬほど帰りが遅くなった。
いつもどおり投稿時刻をいじってブログは
平常運転しているかのように見せかけているが、
本来ならその日のうちに更新したいところだ。


今の会社に入社してわずか1年ほどで
会社員の生活に幾許かの虚無感を覚えた僕は、
フラフラと社外で活動を始めることになった。

当時、いつも頭に浮かんでいたのは、
いつかのLIFEカードのCMである。

これの「転機到来編」。
このCMのシリーズは全部好きだけど、
「転機到来編」がなぜか忘れられない。

つまるところ、サラリーマンが今以上の
収入を得ようと思った時に、引けるカードは
「転職」「独立」「出世」しかないのだ。


安定した給与所得以上の魅力は会社にはないため、
出世という選択肢はハナからなかった僕は、
転職か独立という目標を朧気ながら考えた。

しかし、転職にはそれ相応の能力が当然のごとく
求められる。いつかのエントリーにも書いたが、
元々行きたかった業種は政府系金融機関か、
保険業界の専門職だったが、政府系金融機関
超絶エリートの集まりだし、保険の専門職は
超難関資格が必要な上に長い時間がかかる。
転職という野望はあっさり潰えた。

じゃあ独立すべきかというと、そんなリスキーな
選択が出来るほど当時の僕は夢見がちではなかった。
企業生存率って知ってる?絶対潰れるじゃん。
そもそも、なんのスキルもないし知識も経験もない。
そんな若造にいったい何ができるというのだ。


こうして全ての選択肢が消えた。
いったい何だったんだよ、LIFEカードのCM。

しかし、我々には実は、切り札とでもいうべき
隠された最後のカードが残っている。
それが「副業」というカードだ。
(むちゃんこ普通の選択肢である)


転職しようが独立しようが出世しようが、結局
収入源が一つであるという事に変わりはない。
収入源が一つというのが諸悪の根源なのだ。
この問題は副業によってクリアできる。

もちろん、副業が会社にバレれば解雇される
リスクもあるし、業務時間以外も働くのが
嫌だという意見ももっともだと思う。

そもそも副業ってなんなんだろう。
収入をもたらすものが資産だとしたら、
その種類を大別すると
「ビジネス」・「ペーパー」・「不動産」
である。ペーパーは株や債券など紙の資産を
意味する言葉だが、それらを副業として
禁止している会社はそうそうないだろう。

では不動産はどうだ。これについては一概には
言えないが、不動産投資を個人で行うことは
一般的に想定されていないので、社内規定で
禁止されるということもないような気がする。
言わないに越したことはないけど。


ペーパーや不動産はOKで、ビジネスはNGだという
理由はいったい何なんだ。休日は本業のために
しっかり休めとでも言いたいのだろうか?
じゃあ遊びに行くのも禁止にしろと言いたい。
本業に影響が出ない範囲であれば業務上は全く
問題ないはずなのに、本当に意味が分からない。

そもそも、日本の労働基準法では副業は禁止されて
いない。あくまで、会社が社則を設けて、勝手に
従業員を縛っているだけである。


というワケで、僕は今では何の躊躇いもなく
副業する気マンマンである。それを咎められる
謂われはないし、咎められたその時は大手を振って
自主退職という漢の花道を飾るのみだ。
よーし、ラット抜けするぞー。

銀色の雨が降ってきたら


「雨が降っても自分のせい」


松下幸之助さんの有名な格言である。
とかくビジネスの世界で引用されがちだが、
僕はこの言葉を初めて聞いたとき、
「素晴らしい心構えだ」と思う僕と
「ふざけてんじゃねえ」と思う僕がいた。

まず前提として、僕は自分を含め、
何か起こった時にいつも他人や環境のせいにする
非建設的で浅ましい考え方は大っ嫌いである。

悪い結果が出た場合に、その責任を違う誰か、
あるいは環境のせいにするのはラクだろう。
しかし、いかなる場合・いかなる状況でも、
本当に自分に落ち度はなかったかを考える事は
今後の自分の成長に繋がるはずで、そこから
新たなアイディアが生まれることもあるはずだ。


責任転嫁は思考停止。
そこに反論の余地はない。

しかし、その考え方を他の誰かに押し付けられる事は
全く別の問題だ。なんでもかんでも全て自分のせいだ
と言われるのは、聞きようによっては極めて傲慢な
考えで、悪意のある人間にいいように食い物にされる
危険性も孕んでいることに気付いてほしい。
そしてその場合も「自己責任」の一言で片づけられる
と思うと、それはちょっと違うんじゃないの、と
反論したい衝動に駆られてしまう。一理はあるけど。

すべて自分のせいだという考え方を強要するのは、
心の弱い人間であれば徹底的に自分を責めさせられ、
卑屈で自虐的な人間になってしまう可能性もある。
新興宗教でよくある洗脳手口だ。

だいたいなんだ、雨が降ったらって。
雨は天の恵みだ、人間が降らせられるわけがない。
それを自分のせいだとする方こそ傲慢ではないか。


本当に、あの松下幸之助さんが、上記の意味で
この言葉を残されたのだろうか?僕には疑問だった。
…と思って調べたら、同じ考えの人いたー!


素晴らしい。禅の言葉の「日々是好日」
晴れの日も雨の日も、それぞれが大切な日々。

「雨だから悪い」のではなく、
雨が降ったことをどう捉え、
その上でどのように事を為すか、
その心構えを説いたのが
「雨がふっても自分のせい」
それが松下幸之助さんが伝えたかった事ではないか。

うんうん、これなら納得。

ちなみに松下幸之助さんは、上記の名言の他に
「雨が降ったら傘をさす」
という言葉も残しておいでだ。


つまり、「何をすべきかは状況に従え」
次々起こる問題を解決していくことの連続で、
自然とビジネスは育っていく、という。

だから多分、「雨が降ったら自分のせい」の解釈は
上記の意味で間違いないと思う。…はずだ。
なーんか、変に曲解されてるとしたら腹立つなー。

人に雨を降らせることなどできやしない。どうせ
降らせるならアムリタ(蜜雨)を降らせてくれ。

ローカルワークの探究者たち

随分前からの話ではあるが、プロブロガーとして
名を馳せているイケダハヤト氏が、ブログを
小休止?状態にし、noteやら有料サロンやらで
ガッツリお金を稼ごうとしている行動が、
はてなブログ上で物議を醸していたようだ。


氏の作り出すコンテンツが面白いのか、
ブロガーが金儲けに走るのは悪なのか、
それに言及するほど僕は傲慢ではない。

氏の得意の炎上芸が功を奏したのかなんなのかは
知らないが、氏が何かやらかすたびにその言動は
人々にバズられ、氏の収入に一役買っている。
人々に批判され、嫌われれば嫌われるほどに
氏は計算通りだと喜んでいることだろう。
本当に本意かどうかは知らんけど。


ちなみに僕は、氏のことが嫌いではない。
僕は一度、氏がゲストとして参加した
イベントに行き、氏と会ったことがある。

HELLO life」という、新しい働き方を提供しようと
している民間団体が大阪にあり、そこのイベントで
氏と川人ゆかりさんがゲストとして出演していた。


僕はその当時、イケダハヤトというブロガーの
存在を知らなかった。氏の印象としては、若干
皮肉屋ではあったが、質疑応答でもしっかり
自身の意見を持って論理だった受け答えをしていた
ことから、僕の中では結構好印象な人物だった。

このイベントは「脱・都会計画」の名のもとに、
ローカルワークの実情について赤裸々に語る、
というもので、僕の求めていた内容ではなかった。
川人ゆかりさんが美人過ぎて惚れちゃったけど。


と、いうわけで、このイベントで川人さんに
惚れた僕は、なぜかイケダハヤト氏のことを
嫌いになれずいる。美人は偉大である。

皆さん、川人ゆかりさんが代表をされている
ローカルキャリアカフェをよろしくお願いします。
(HPが存在しないため、ツイッターを貼付け)

 

群集心理と準拠集団

例えば、様々な民族の人が乗った豪華客船が
沈没しそうになっていたとする。その際に、
それぞれの乗客を海に飛び込ませるには、
どのように声をかければいいか?

イギリス人には
「紳士はこういうときに飛び込むものです」
ドイツ人には
「規則では海に飛び込むことになっています」
イタリア人には
「さっき美女が飛び込みました」
アメリカ人には
「海に飛び込んだらヒーローになれますよ」
ロシア人には
ウオッカのビンが流されてしまいました、
 今追えば間に合います」
フランス人には
「海に飛び込まないで下さい」
中国人には
「おいしい食材が泳いでいますよ」
北朝鮮人には
将軍様が飛び込めと仰っています」

そして日本人には
「みんなもう飛び込みましたよ」
と伝えた。


各国の民族性を皮肉った、超有名な
エスニックジョークである。
(色々と改変バージョンが存在するが)



「他のみんながやっているから自分もやる」
群集を構成する人々の感情や行動が、同じ方向に
収斂していくという群集心理は、いかなる集団にも
普遍的に存在する心理だが、日本人の場合の収斂の
キーワードは「周囲に合わせる」なのである。

僕は天邪鬼なので、みんなと同じで没個性的に
陥ることを嫌う傾向にあるけれど、有事の際は
上記のセリフであっさり海に飛び込むだろう。

罪の文化」ではない「恥の文化」に生きる。
悪目立ちするのを良しとせずに付和雷同する。
物凄く人目を気にしてしまう、シャイな民族。
それが日本人なのだ。


多くの日本人が周囲を気にして大衆に迎合する
一方で、人目を全く気にしない一握りの天才たち
あるいは変態たちが日本には確実に存在し、
彼らがこの国のトレンドや技術革新を先導する。

彼らと我々凡人では、集団としての性質が全く違う。
彼らの常識は凡人にとって非常識であり、
凡人の常識は彼らにとって非常識なのだ。


「準拠集団」という言葉がある。
価値観や行動規範の基準となる集団のことを指す
心理学用語で、必ずしも自身が所属している集団とは
限らないが、ほとんどの場合は所属集団が該当する。


人は何か基準があるから行動できるのであって、
その基準は過去の経験や知識・そして現在の
所属集団という環境である場合が多い。

「共有している時間が長い5人の平均があなただ」
という言葉にもあるように、自身が所属している
集団というのは自身の今後の人生を形作るための、
非常に重要な要素になっているようだ。


今の自分の環境に不満があるなら、思い切って
所属集団を変えてみるというのも有効だと思う。
そしてその変化は、きっと今までにない
新たな価値観を与えてくれるはずだ。

変化が何であれ、変わっていくことを楽しもう。
そう遠くない未来が明るいことを想像しながら。

神様はHDDにいる

昨日のエントリーの続き。
開発環境のサーバーが死んだために、
昨日からシコシコ復旧作業を進めていた。

惨事復旧用のシステムデータは2012年のもの。
そのデータを使えば、OSやソフトウェアは
問題なく復旧が完了した。問題はその後。
仕事で使う肝心の業務データの安否である。


同業なら分かると思うが、バックアップ計画および
災害時の復旧計画というのは実に技巧的なものだ。
ストレージの容量と相談しながらどのような
バックアップの方式を取るか、開発側と相談
しながらリストアポイントをどこまで設定するか、
現実的な運用方法を見定めながら決めていく。

無論、うちのプロジェクトでも、業務データの
バックアップ方式はしっかり決まっている。
週次で完全バックアップを行い、
日次で増分バックアップを行う。
バックアップの種類は下記リンクからどぞー。


とりあえず、業務データのフルバックアップ
入っているLTOからデータの取得を試みた。
ARCserveというバックアップソフトを起動する。
オートローダーがLTOをガチャガチャ読み取り、
中身を見る…あれ、中身がない!なんで!?

…我ら復旧班の判断としては、
そもそもバックアップが失敗していたため、
LTOにはデータが1ミリも残ってません☆
という、悲劇的状況であると結論付けた。
ぶkkっころすぞてめぇぇぇええええええええ


あるべきバックアップデータが残っていない。
状況は果てしなく絶望的に思える。
ガチで心がブチ折れそうになった。

しかし、ここで諦めるわけにはいかない。
LTOにデータがカケラも残っていない中で
一縷の望みがあるとしたらそれはただ一つ。
昨日死んだHDDである。


一口に壊れた言っても、壊れ方は様々である。
ヘッドあるいはモーターの故障、はたまた
HDDの基盤が壊れているのか。ディスクは
問題なく回転するのか。全く分からない。

サーバーにはRAIDコントローラーが存在するため
HDDを読み込ませるためにはRAIDを組まなければ
ならない。しかし、RAIDを組んで論理ドライブが
作成された時点でイニシャライズが実行されるので
中身がまっさらになる可能性もある。


復元の可能性は限りなく低い。しかしゼロではない。
もう神頼みだ、分の悪い賭けは嫌いじゃない…!

祈るような思いでHDDを空きスロットに挿し込み、
サーバーを起動してエクスプローラを開く。



…見えた。

…データが見えた!
これでサルベージできる!!

うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!


データセンター内に雄叫びが響き渡った。
我々は歓喜のあまり、場合によっては職員に総出で
取り押さえられてもおかしくない錯乱状態に陥った。

こうして無事にデータの復元が完了したという。
蓋を開けてみりゃたった2日間の作業だったが、
体感的には気が遠くなるほど長い作業だった。
精神と時の部屋かよここは…


めでたく復旧作業は完了したわけだが、
あくまでこの作業は完全なるイレギュラー作業。
元々別のタスクを抱えていた中での作業なので、
当然のように自分のスケジュールが遅れていく。

帰社すると我々復旧班は惜しみなく賞賛され、
英雄然として帰ってきたにも関わらず、結局
進捗が遅れただけというムゴい結果になった。
僕以外の他のみんなは、花金と言わんばかりに
飲みに行ってるのもどうも納得がいかない。


まぁ、復旧しなかったら遅延はもっと広がった
だろうから、これはこれで良しとしよう。
(今後のバックアップ設計が課題だけど)

今夜はゆっくり眠れそうだ。

冗長化は計画的に

会社員の朝は早い。
始業時刻の9時までに、ダレーダーに社員証を
かざさなければ問答無用で遅刻扱いとなる。
朝が弱い僕にとって、遅刻せずに出社するのは
なかなかハードルが高い問題である。
 
今日はガチでぎりぎりだった。
8時42分の電車が本当のギリギリだと判明した。
神業のような滑り込みセーフ。朝から汗だく。
フレックス制度を導入してくれりゃいいのに。
 
 
そして、昼からデータセンターへ外出した。
うちのプロジェクトの開発環境にあるサーバの
HDDが今日未明に死亡するという事件が発生した。
もちろんRaid1(ミラーリング)による冗長化構成は
とっていたが、今回はまさかのダブルフェール。
要するに、2台あるHDDが2台とも死んだ。

RAID1で構成する場合、スペア用のHDDをさらに1台
用意するのが常套手段らしい。そうすることが
ダブルフェールの対策らしいが、知らなかった…
RAIDについてご存じない方は下記リンクをどーぞ。


そして泣く泣くデータセンターへ向かった。
データセンターというのはその機密性から、
地図上の場所は明らかにされていない。
なので、初めて行く場合は結構大変なのである。
今回は初めてじゃないから余裕だったけど。

普段はデスクワークなので、こういう社外作業は
結構楽しみだった。LTO、オートローダー、
UPSRDX…、サーバーラックに入っている機器は
普段あまりお目にかかることがないものなので、
僕は結構ワクワクしていた。行くまでは…


行ってみてからの作業は大変の一言。
まず、サーバールームには椅子がない。
そのため、作業が終えるまで基本的に立ちっぱなしで
作業をすることになる。短時間ならそれでもいいが
今回はデータ復旧という完全なる長丁場の作業。
終盤になると尋常じゃなく足腰が痛くなってくる。

その上、インフラ作業というのは、基本的に
シナリオ通りに順調に進むことはまずない。
必ずどこかで壁にぶつかり、そのたび臨機応変
課題解決が求められる、非常にエキサイティングな
仕事である。今回も色々問題が多かった。

まずは陳腐化した惨事復旧手順書。
基本的に嘘だらけな上に、肝心のポイントが
抜けていたりすることが多い。情報も古いまま
更新されていない。誰だこんなゴミを作ったのは。

四苦八苦してシステム状態の復旧が完了した。
その後に最新のバックアップデータを使って
データ復元をしていくわけだが、いざ行うと
原因不明のエラーが発生して先に進めず。
…このバックアップデータ、本当に大丈夫?


結局、今日一日では完全な回復はできず。無念。
夜の22時までデータセンターで作業に明け暮れていた
にも関わらず、この結果はまことに遺憾である。

明日もたぶん行くんだろうな~。
あぁちくしょうめんどくせぇ。
自分の無能ぶりが呪わしい…

いずれ俺達が多数派になる

最近は業務後が色々と忙しい。

本業以外に副業を~とか軽い気持ちで始めた
ビジネスのせいだ。どんどんスケジュールが
埋まっていく、なんだこの忙しさは…。
もはや軽い気持ちどころではなくなっている。
これからもっと忙しくなると思うと楽しみでもあり
憂鬱でもある、という複雑な心境だ。
 
しかし、マニュアルが確立されたサイドビジネス
ってやつは、きっとうまくいくんだろうなぁという
気がしている。実際うまくいくんだろう。
 
あとは何より環境。やっぱり自分一人でなんでも
できてしまう人間がいたとしたら、きっとそいつは
天才なんだろうと真剣に思う。僕は天才じゃない。
否が応でも自分を奮起させる環境というのは
実にありがたい。
 
 
最近は意識高い系(笑)と言われる残念な人々が
よく見受けられる。僕はそういう輩を敬遠しがちな
意識低い系の夢も希望もない燃えないゴミ系の
人間だけど、敬遠する理由は、その意識の高さに
能力や行動が伴っていない口だけ達者な人間が
多いからだ(それを意識高い系と言うんだが)。
一般的に考えたら、意識は低いより高い方が
いいに決まっている。
 
なので、今後は僕は意識も能力も向上させ、
口だけでなく行動を伴わせて見せよう、と
思うわけだが、はて、どうなることやら。
時代はいつだって先駆者に厳しい。産みの苦しみだ。
この1年が正念場だ、今夜はママも許してくれるさ…



なお、当ブログは、あくまで筆者が日々感じた
適当で曖昧な想いや考えや欲望を吐き出すための
雑記であるというスタンスを変えるつもりはない。
なので、よっぽどコンテンツ性が高くない限りは
ビジネス関連の話題には言及しないつもりだ。
そういうのが入ると書いててつまんねーし。
 
さーて、頑張りますか。
 

闇深い暗黒学園物語

夜は以前ブログで紹介した焼肉屋に行き、
久しぶりに牛すじ丼を食べたくて注文したら
牛すじうどんが出てきた。

優しい僕は笑顔でそのオーダーミスを受け入れ、
大人しく牛すじうどんを食べた(普通にうまい)。
今日の昼はうどんの名店「つるとんたん」に
行ったので、なんだか今日はうどん尽くしだ。
朝に「丸亀製麺」にでも行ってたら完璧だった。
もう当分うどんは食べたくない。


話は変わって、最近ニュースで、部活顧問の義務が
ブラックすぎるので改善要望の署名を募っている、
というニュースを見た(ちなみにネット署名)。
既に2万人弱の署名が集まっているらしい。


ちなみに僕も、中学教諭と高校教諭の数学の
教員免許を持っている。いざとなった時も
食いっぱぐれがないように、大学時代に取得した。
永久ライセンスなので消失しない資格である。

しかし免許を取ったものの、僕はさらさら教師に
なる気はなかった。その理由は5つあるが、
うち1つは上記の部活問題そのものである。


上記のリンク先を見てもらえば分かると思うが、
部活顧問というのはブラック以外の何物でもない。
放課後や土日祝日にある部活動の顧問に対する
残業代は雀の涙ほどで、その活動は教員たちの
善意と熱意によって支えられている。基本的に
善意も熱意もない僕には到底不可能な職業だった。

この問題について、学校側がちゃんとそれ相応の
残業代を支給すれば解決しそうなもんだが、
そうすると学校運営が立ち行かなくなるのだろう。
私立の場合であれば話は別なんだろうけど。
ちと根の深い問題である。

教師の実態を知って教員という選択肢を手放した
僕のような人間は案外多いと思う。僕が教師に
なっていたとしても大した戦力にはならなかったと
思うが、とてつもなく優秀な人材が教師という
夢を諦めたのなら、それは今の歪んだ学校運営が
生み出した悲劇と言えるだろう。夢や情熱という
綺麗事だけでは、健康で文化的な最低限度の生活
できるとは限らない。雇用者と被雇用者の双方が
納得する仕組みが今後検討されると思うと楽しみだ。


ちなみに、僕が教師になろうと思わなかった5つの
理由のうち、1つは上記のブラックな実態である。
残りの4つについては下記の通りだ。

2.上記の問題がなくとも、教師は純粋に薄給。
3.生徒と一緒に遊んでしまいそう、多分怒れない。
4.モンペのクレームに大人な対応をする自信なし。
5.万が一女生徒に言い寄られた時に断る自信なし。


本当に教師にならなくてよかった。
色々な意味で。

甘く切ない幻夜の思い出

そうだ、昨日はバレンタインだった。
僕としたことが、自分には悲しいほど
関係がないイベントなので完全に忘れていた。

つーか、普通に実家に帰省してたっつーの。
母親が「えっなんでこのタイミング?」とでも
言いたげな気の毒そうな顔をしていたのは
そのせいか。くっそー、なんという不覚。

僕にとっての2月14日という日は、
恋人からチョコを貰って狂喜乱舞する日でも
グラハム・ベルが電話の特許を出願した日でも
エヴァで休戦臨時条約が締結された日でもなく、
今住んでいる大阪に引っ越した日だ。


「一人暮らしは金がかかる」という話を鵜呑みにし、
必要なランニングコストをろくに調べもせず、
大学・大学院での6年間は一人暮らしを諦め、
滋賀県の実家から大阪の大学まで通っていた。
片道およそ2時間。正気の沙汰とは思えない。

早く一人暮らしがしたいと思っていたはずなのに、
だらだらと実家にパラサイトし続けていた事実は
今思えば不思議なことだ。一人暮らしの生活費など、
本気でバイトすれば捻出できただろうに。

まだ甘えていたかった?
生活を変えるのが怖かった?
バイトに明け暮れるのが嫌だった?
母と犬を置いて家を出るのが心残りだった?

理由はよくわからないが、理由などどうでもいい。
実家を出なかった、という事実だけがすべてだ。

社会人になっても勤務地が大阪だったこともあり、
依然として実家から通うという状態を続けていた。
この時点で僕は、完全に家を出るタイミングを
失っていた。いったいいつ独り立ちできるのだ…


そんな僕が家を出る決断に至った契機は色々ある。
母親は派遣社員として働いているが、その職場で
派遣切りがあるという報せ。それにより、母親が
引っ越しを伴うジョブチェンジを目論んでいたこと。

実家が引っ越すとなった時、親についてまで一緒に
引っ越すことが躊躇われた。僕ももういい大人だ。
流石にこのタイミングでついていくべきではない。
…結局、母親は超仕事ができる派遣社員だったため
派遣切りの憂き目に遭うことはなかったが、僕の心に
「一人暮らし」という明るい影を確かに落とした。

ちょうどその時期に、うちの会社の大阪支社は
江坂から淀屋橋へ移転することになった。
転機だと思った。ここで家を出なければ僕は
一生家を出ないかもしれない。かなり大袈裟だが、
そう思わせられるくらいの何かに突き動かされた。

不動産を買った時の書類を親に勝手に見られたり、
実家だとビジネスのための活動がしにくかったり、
実家にいることの限界・不満を感じていたのも事実。

母を一人にするのは少し心配だったが、
僕は心を鬼にして一人暮らしを断行した。
それがちょうど1年前の2月14日だ。


どうやら僕は、1年前の同じ日も、昨日のように
このバレンタインという日を忘れていたらしい。
重ね重ね不覚である…何やってんだろ俺。