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仕事、投資、技術メモ、オカルト、その他クソミソな趣味や日常についてあれこれ綴る、日記帳というより雑記帳。忘却の彼方に置き忘れた夢と情熱を求めて彷徨中。

ローカルワークの探究者たち

随分前からの話ではあるが、プロブロガーとして
名を馳せているイケダハヤト氏が、ブログを
小休止?状態にし、noteやら有料サロンやらで
ガッツリお金を稼ごうとしている行動が、
はてなブログ上で物議を醸していたようだ。


氏の作り出すコンテンツが面白いのか、
ブロガーが金儲けに走るのは悪なのか、
それに言及するほど僕は傲慢ではない。

氏の得意の炎上芸が功を奏したのかなんなのかは
知らないが、氏が何かやらかすたびにその言動は
人々にバズられ、氏の収入に一役買っている。
人々に批判され、嫌われれば嫌われるほどに
氏は計算通りだと喜んでいることだろう。
本当に本意かどうかは知らんけど。


ちなみに僕は、氏のことが嫌いではない。
僕は一度、氏がゲストとして参加した
イベントに行き、氏と会ったことがある。

HELLO life」という、新しい働き方を提供しようと
している民間団体が大阪にあり、そこのイベントで
氏と川人ゆかりさんがゲストとして出演していた。


僕はその当時、イケダハヤトというブロガーの
存在を知らなかった。氏の印象としては、若干
皮肉屋ではあったが、質疑応答でもしっかり
自身の意見を持って論理だった受け答えをしていた
ことから、僕の中では結構好印象な人物だった。

このイベントは「脱・都会計画」の名のもとに、
ローカルワークの実情について赤裸々に語る、
というもので、僕の求めていた内容ではなかった。
川人ゆかりさんが美人過ぎて惚れちゃったけど。


と、いうわけで、このイベントで川人さんに
惚れた僕は、なぜかイケダハヤト氏のことを
嫌いになれずいる。美人は偉大である。

皆さん、川人ゆかりさんが代表をされている
ローカルキャリアカフェをよろしくお願いします。
(HPが存在しないため、ツイッターを貼付け)

 

群集心理と準拠集団

例えば、様々な民族の人が乗った豪華客船が
沈没しそうになっていたとする。その際に、
それぞれの乗客を海に飛び込ませるには、
どのように声をかければいいか?

イギリス人には
「紳士はこういうときに飛び込むものです」
ドイツ人には
「規則では海に飛び込むことになっています」
イタリア人には
「さっき美女が飛び込みました」
アメリカ人には
「海に飛び込んだらヒーローになれますよ」
ロシア人には
ウオッカのビンが流されてしまいました、
 今追えば間に合います」
フランス人には
「海に飛び込まないで下さい」
中国人には
「おいしい食材が泳いでいますよ」
北朝鮮人には
将軍様が飛び込めと仰っています」

そして日本人には
「みんなもう飛び込みましたよ」
と伝えた。


各国の民族性を皮肉った、超有名な
エスニックジョークである。
(色々と改変バージョンが存在するが)



「他のみんながやっているから自分もやる」
群集を構成する人々の感情や行動が、同じ方向に
収斂していくという群集心理は、いかなる集団にも
普遍的に存在する心理だが、日本人の場合の収斂の
キーワードは「周囲に合わせる」なのである。

僕は天邪鬼なので、みんなと同じで没個性的に
陥ることを嫌う傾向にあるけれど、有事の際は
上記のセリフであっさり海に飛び込むだろう。

罪の文化」ではない「恥の文化」に生きる。
悪目立ちするのを良しとせずに付和雷同する。
物凄く人目を気にしてしまう、シャイな民族。
それが日本人なのだ。


多くの日本人が周囲を気にして大衆に迎合する
一方で、人目を全く気にしない一握りの天才たち
あるいは変態たちが日本には確実に存在し、
彼らがこの国のトレンドや技術革新を先導する。

彼らと我々凡人では、集団としての性質が全く違う。
彼らの常識は凡人にとって非常識であり、
凡人の常識は彼らにとって非常識なのだ。


「準拠集団」という言葉がある。
価値観や行動規範の基準となる集団のことを指す
心理学用語で、必ずしも自身が所属している集団とは
限らないが、ほとんどの場合は所属集団が該当する。


人は何か基準があるから行動できるのであって、
その基準は過去の経験や知識・そして現在の
所属集団という環境である場合が多い。

「共有している時間が長い5人の平均があなただ」
という言葉にもあるように、自身が所属している
集団というのは自身の今後の人生を形作るための、
非常に重要な要素になっているようだ。


今の自分の環境に不満があるなら、思い切って
所属集団を変えてみるというのも有効だと思う。
そしてその変化は、きっと今までにない
新たな価値観を与えてくれるはずだ。

変化が何であれ、変わっていくことを楽しもう。
そう遠くない未来が明るいことを想像しながら。

神様はHDDにいる

昨日のエントリーの続き。
開発環境のサーバーが死んだために、
昨日からシコシコ復旧作業を進めていた。

惨事復旧用のシステムデータは2012年のもの。
そのデータを使えば、OSやソフトウェアは
問題なく復旧が完了した。問題はその後。
仕事で使う肝心の業務データの安否である。


同業なら分かると思うが、バックアップ計画および
災害時の復旧計画というのは実に技巧的なものだ。
ストレージの容量と相談しながらどのような
バックアップの方式を取るか、開発側と相談
しながらリストアポイントをどこまで設定するか、
現実的な運用方法を見定めながら決めていく。

無論、うちのプロジェクトでも、業務データの
バックアップ方式はしっかり決まっている。
週次で完全バックアップを行い、
日次で増分バックアップを行う。
バックアップの種類は下記リンクからどぞー。


とりあえず、業務データのフルバックアップ
入っているLTOからデータの取得を試みた。
ARCserveというバックアップソフトを起動する。
オートローダーがLTOをガチャガチャ読み取り、
中身を見る…あれ、中身がない!なんで!?

…我ら復旧班の判断としては、
そもそもバックアップが失敗していたため、
LTOにはデータが1ミリも残ってません☆
という、悲劇的状況であると結論付けた。
ぶkkっころすぞてめぇぇぇええええええええ


あるべきバックアップデータが残っていない。
状況は果てしなく絶望的に思える。
ガチで心がブチ折れそうになった。

しかし、ここで諦めるわけにはいかない。
LTOにデータがカケラも残っていない中で
一縷の望みがあるとしたらそれはただ一つ。
昨日死んだHDDである。


一口に壊れた言っても、壊れ方は様々である。
ヘッドあるいはモーターの故障、はたまた
HDDの基盤が壊れているのか。ディスクは
問題なく回転するのか。全く分からない。

サーバーにはRAIDコントローラーが存在するため
HDDを読み込ませるためにはRAIDを組まなければ
ならない。しかし、RAIDを組んで論理ドライブが
作成された時点でイニシャライズが実行されるので
中身がまっさらになる可能性もある。


復元の可能性は限りなく低い。しかしゼロではない。
もう神頼みだ、分の悪い賭けは嫌いじゃない…!

祈るような思いでHDDを空きスロットに挿し込み、
サーバーを起動してエクスプローラを開く。



…見えた。

…データが見えた!
これでサルベージできる!!

うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!


データセンター内に雄叫びが響き渡った。
我々は歓喜のあまり、場合によっては職員に総出で
取り押さえられてもおかしくない錯乱状態に陥った。

こうして無事にデータの復元が完了したという。
蓋を開けてみりゃたった2日間の作業だったが、
体感的には気が遠くなるほど長い作業だった。
精神と時の部屋かよここは…


めでたく復旧作業は完了したわけだが、
あくまでこの作業は完全なるイレギュラー作業。
元々別のタスクを抱えていた中での作業なので、
当然のように自分のスケジュールが遅れていく。

帰社すると我々復旧班は惜しみなく賞賛され、
英雄然として帰ってきたにも関わらず、結局
進捗が遅れただけというムゴい結果になった。
僕以外の他のみんなは、花金と言わんばかりに
飲みに行ってるのもどうも納得がいかない。


まぁ、復旧しなかったら遅延はもっと広がった
だろうから、これはこれで良しとしよう。
(今後のバックアップ設計が課題だけど)

今夜はゆっくり眠れそうだ。

冗長化は計画的に

会社員の朝は早い。
始業時刻の9時までに、ダレーダーに社員証を
かざさなければ問答無用で遅刻扱いとなる。
朝が弱い僕にとって、遅刻せずに出社するのは
なかなかハードルが高い問題である。
 
今日はガチでぎりぎりだった。
8時42分の電車が本当のギリギリだと判明した。
神業のような滑り込みセーフ。朝から汗だく。
フレックス制度を導入してくれりゃいいのに。
 
 
そして、昼からデータセンターへ外出した。
うちのプロジェクトの開発環境にあるサーバの
HDDが今日未明に死亡するという事件が発生した。
もちろんRaid1(ミラーリング)による冗長化構成は
とっていたが、今回はまさかのダブルフェール。
要するに、2台あるHDDが2台とも死んだ。

RAID1で構成する場合、スペア用のHDDをさらに1台
用意するのが常套手段らしい。そうすることが
ダブルフェールの対策らしいが、知らなかった…
RAIDについてご存じない方は下記リンクをどーぞ。


そして泣く泣くデータセンターへ向かった。
データセンターというのはその機密性から、
地図上の場所は明らかにされていない。
なので、初めて行く場合は結構大変なのである。
今回は初めてじゃないから余裕だったけど。

普段はデスクワークなので、こういう社外作業は
結構楽しみだった。LTO、オートローダー、
UPSRDX…、サーバーラックに入っている機器は
普段あまりお目にかかることがないものなので、
僕は結構ワクワクしていた。行くまでは…


行ってみてからの作業は大変の一言。
まず、サーバールームには椅子がない。
そのため、作業が終えるまで基本的に立ちっぱなしで
作業をすることになる。短時間ならそれでもいいが
今回はデータ復旧という完全なる長丁場の作業。
終盤になると尋常じゃなく足腰が痛くなってくる。

その上、インフラ作業というのは、基本的に
シナリオ通りに順調に進むことはまずない。
必ずどこかで壁にぶつかり、そのたび臨機応変
課題解決が求められる、非常にエキサイティングな
仕事である。今回も色々問題が多かった。

まずは陳腐化した惨事復旧手順書。
基本的に嘘だらけな上に、肝心のポイントが
抜けていたりすることが多い。情報も古いまま
更新されていない。誰だこんなゴミを作ったのは。

四苦八苦してシステム状態の復旧が完了した。
その後に最新のバックアップデータを使って
データ復元をしていくわけだが、いざ行うと
原因不明のエラーが発生して先に進めず。
…このバックアップデータ、本当に大丈夫?


結局、今日一日では完全な回復はできず。無念。
夜の22時までデータセンターで作業に明け暮れていた
にも関わらず、この結果はまことに遺憾である。

明日もたぶん行くんだろうな~。
あぁちくしょうめんどくせぇ。
自分の無能ぶりが呪わしい…

いずれ俺達が多数派になる

最近は業務後が色々と忙しい。

本業以外に副業を~とか軽い気持ちで始めた
ビジネスのせいだ。どんどんスケジュールが
埋まっていく、なんだこの忙しさは…。
もはや軽い気持ちどころではなくなっている。
これからもっと忙しくなると思うと楽しみでもあり
憂鬱でもある、という複雑な心境だ。
 
しかし、マニュアルが確立されたサイドビジネス
ってやつは、きっとうまくいくんだろうなぁという
気がしている。実際うまくいくんだろう。
 
あとは何より環境。やっぱり自分一人でなんでも
できてしまう人間がいたとしたら、きっとそいつは
天才なんだろうと真剣に思う。僕は天才じゃない。
否が応でも自分を奮起させる環境というのは
実にありがたい。
 
 
最近は意識高い系(笑)と言われる残念な人々が
よく見受けられる。僕はそういう輩を敬遠しがちな
意識低い系の夢も希望もない燃えないゴミ系の
人間だけど、敬遠する理由は、その意識の高さに
能力や行動が伴っていない口だけ達者な人間が
多いからだ(それを意識高い系と言うんだが)。
一般的に考えたら、意識は低いより高い方が
いいに決まっている。
 
なので、今後は僕は意識も能力も向上させ、
口だけでなく行動を伴わせて見せよう、と
思うわけだが、はて、どうなることやら。
時代はいつだって先駆者に厳しい。産みの苦しみだ。
この1年が正念場だ、今夜はママも許してくれるさ…



なお、当ブログは、あくまで筆者が日々感じた
適当で曖昧な想いや考えや欲望を吐き出すための
雑記であるというスタンスを変えるつもりはない。
なので、よっぽどコンテンツ性が高くない限りは
ビジネス関連の話題には言及しないつもりだ。
そういうのが入ると書いててつまんねーし。
 
さーて、頑張りますか。
 

闇深い暗黒学園物語

夜は以前ブログで紹介した焼肉屋に行き、
久しぶりに牛すじ丼を食べたくて注文したら
牛すじうどんが出てきた。

優しい僕は笑顔でそのオーダーミスを受け入れ、
大人しく牛すじうどんを食べた(普通にうまい)。
今日の昼はうどんの名店「つるとんたん」に
行ったので、なんだか今日はうどん尽くしだ。
朝に「丸亀製麺」にでも行ってたら完璧だった。
もう当分うどんは食べたくない。


話は変わって、最近ニュースで、部活顧問の義務が
ブラックすぎるので改善要望の署名を募っている、
というニュースを見た(ちなみにネット署名)。
既に2万人弱の署名が集まっているらしい。


ちなみに僕も、中学教諭と高校教諭の数学の
教員免許を持っている。いざとなった時も
食いっぱぐれがないように、大学時代に取得した。
永久ライセンスなので消失しない資格である。

しかし免許を取ったものの、僕はさらさら教師に
なる気はなかった。その理由は5つあるが、
うち1つは上記の部活問題そのものである。


上記のリンク先を見てもらえば分かると思うが、
部活顧問というのはブラック以外の何物でもない。
放課後や土日祝日にある部活動の顧問に対する
残業代は雀の涙ほどで、その活動は教員たちの
善意と熱意によって支えられている。基本的に
善意も熱意もない僕には到底不可能な職業だった。

この問題について、学校側がちゃんとそれ相応の
残業代を支給すれば解決しそうなもんだが、
そうすると学校運営が立ち行かなくなるのだろう。
私立の場合であれば話は別なんだろうけど。
ちと根の深い問題である。

教師の実態を知って教員という選択肢を手放した
僕のような人間は案外多いと思う。僕が教師に
なっていたとしても大した戦力にはならなかったと
思うが、とてつもなく優秀な人材が教師という
夢を諦めたのなら、それは今の歪んだ学校運営が
生み出した悲劇と言えるだろう。夢や情熱という
綺麗事だけでは、健康で文化的な最低限度の生活
できるとは限らない。雇用者と被雇用者の双方が
納得する仕組みが今後検討されると思うと楽しみだ。


ちなみに、僕が教師になろうと思わなかった5つの
理由のうち、1つは上記のブラックな実態である。
残りの4つについては下記の通りだ。

2.上記の問題がなくとも、教師は純粋に薄給。
3.生徒と一緒に遊んでしまいそう、多分怒れない。
4.モンペのクレームに大人な対応をする自信なし。
5.万が一女生徒に言い寄られた時に断る自信なし。


本当に教師にならなくてよかった。
色々な意味で。

甘く切ない幻夜の思い出

そうだ、昨日はバレンタインだった。
僕としたことが、自分には悲しいほど
関係がないイベントなので完全に忘れていた。

つーか、普通に実家に帰省してたっつーの。
母親が「えっなんでこのタイミング?」とでも
言いたげな気の毒そうな顔をしていたのは
そのせいか。くっそー、なんという不覚。

僕にとっての2月14日という日は、
恋人からチョコを貰って狂喜乱舞する日でも
グラハム・ベルが電話の特許を出願した日でも
エヴァで休戦臨時条約が締結された日でもなく、
今住んでいる大阪に引っ越した日だ。


「一人暮らしは金がかかる」という話を鵜呑みにし、
必要なランニングコストをろくに調べもせず、
大学・大学院での6年間は一人暮らしを諦め、
滋賀県の実家から大阪の大学まで通っていた。
片道およそ2時間。正気の沙汰とは思えない。

早く一人暮らしがしたいと思っていたはずなのに、
だらだらと実家にパラサイトし続けていた事実は
今思えば不思議なことだ。一人暮らしの生活費など、
本気でバイトすれば捻出できただろうに。

まだ甘えていたかった?
生活を変えるのが怖かった?
バイトに明け暮れるのが嫌だった?
母と犬を置いて家を出るのが心残りだった?

理由はよくわからないが、理由などどうでもいい。
実家を出なかった、という事実だけがすべてだ。

社会人になっても勤務地が大阪だったこともあり、
依然として実家から通うという状態を続けていた。
この時点で僕は、完全に家を出るタイミングを
失っていた。いったいいつ独り立ちできるのだ…


そんな僕が家を出る決断に至った契機は色々ある。
母親は派遣社員として働いているが、その職場で
派遣切りがあるという報せ。それにより、母親が
引っ越しを伴うジョブチェンジを目論んでいたこと。

実家が引っ越すとなった時、親についてまで一緒に
引っ越すことが躊躇われた。僕ももういい大人だ。
流石にこのタイミングでついていくべきではない。
…結局、母親は超仕事ができる派遣社員だったため
派遣切りの憂き目に遭うことはなかったが、僕の心に
「一人暮らし」という明るい影を確かに落とした。

ちょうどその時期に、うちの会社の大阪支社は
江坂から淀屋橋へ移転することになった。
転機だと思った。ここで家を出なければ僕は
一生家を出ないかもしれない。かなり大袈裟だが、
そう思わせられるくらいの何かに突き動かされた。

不動産を買った時の書類を親に勝手に見られたり、
実家だとビジネスのための活動がしにくかったり、
実家にいることの限界・不満を感じていたのも事実。

母を一人にするのは少し心配だったが、
僕は心を鬼にして一人暮らしを断行した。
それがちょうど1年前の2月14日だ。


どうやら僕は、1年前の同じ日も、昨日のように
このバレンタインという日を忘れていたらしい。
重ね重ね不覚である…何やってんだろ俺。

この町の景観は優しい

先日の金曜日はこっそり有給休暇を取っていたので

実は今日まで4連休だったが、今日で連休も終わり。
 
実家に原付のナンバープレートを取りに帰る、
という用事は、よくよく考えたら日帰りでも全く
問題なかった用事だが、母親と過ごす時間などを
色々考えると、僕にその選択肢はなかった。
せっかくの実家だ、のんびり過ごそう。
 
 
近頃母親は「ブラタモリ」という番組が
お気に入りのようだ。長年続いていた
笑っていいともが終了したことにより、
タモリさんの行動範囲も格段に広がったとか。

 
この番組にはスタジオというものが存在せず、
終始野外ロケだ。その上、ご当地グルメ
有名な観光地を巡るといったことをあまりせず、
本当にひたすらタモリさんと桑子アナが
案内人を従えて町を練り歩くだけの番組である。
地形フェチのタモリさんは生き生きとしている。
 
何を隠そう、僕も町歩きが結構好きな人間だ。
この番組に触発された僕は、地元であるこの
滋賀県大津市を久々に練り歩いてみることにした。
僕は本当に影響されやすい。
 
 
暦の上では二月半ばだというのに、今日は
信じられないくらい暖かい小春日和だ。
暑すぎず寒すぎず、町歩きに最適な気温である。
 
歩いた場所は、京阪石坂線膳所浜大津間。
直線距離にして2kmくらいなのでたかが知れてる。
 
 
生まれ育ったこの町の景観は、押し付けがましさも
なければ寂寥感もない、要するに普通の町なのだ。
東京丸の内や大阪梅田のような高層ビルこそないが、
幼少時からあった、今では少し古ぼけた建物たちが
今も変わらずこの町の行く末を見守ってくれている。
 
だからこの町の景観は優しい。そんな風に思う。
若干思い出補正は入っているのは間違いないが。
あの頃と比べてこの町が小さく感じてしまうけれど、
それはきっと僕が成長した証拠だと思いたい。
中身の方は大して成長してないけどね。
 
今もまだ残っている場所。既になくなった場所。
昔のまま変わらない場所。変わってしまった場所…
自分の思い出の場所が取り壊されてしまった様は
少し寂しかった。それでも、今もこの地に住まう
人々の営みや元気な子供たちを見ると、変わって
いくことは正しくて、こうして次の世代にバトンが
渡されていくということを妙に納得してしまった。
 
 
なぎさ公園に佇んで、琵琶湖のさざ波を聞きながら。
そんなことをボンヤリと考えていた小春日和の午後。
 
僕は満足して、大阪へ帰る準備をすることにした。
 

犬と雨のワルツ

今日から明日まで滋賀県の実家に帰省している。
実家に原付を置きっぱなしで放置していたせいで、
転居したなら速やかにナンバープレートを持って
現住所の市区町村へ行き、然るべき届け出をしろ
という通達がなされたからだ。ナンバープレートを
実家まで取りに行かなければならなかった。

自業自得だが、めんどくさい。
そのうえ今日は雨。いっそう億劫な気持ちになる。


僕の実家では犬を飼っている。
犬種はチワワ、今年で14歳になった雄の老犬だ。

僕は実家暮らしが長かったので、この犬と一緒に
過ごした期間が長い。生後すぐにうちの家に
引き取ったので、生まれてからずっと一緒だった。


人望はおろか犬望もなかった僕は、何度か
甘噛みではなくガチ噛みされたこともある。
その犬にとってのヒエラルキーでは、僕は
犬以下の人間と格付けされていたのだろうか。
学生時代も新社会人時代も、何度となく散歩に
連れていってやっていたというのに、その恩を
すぐに忘れる。リアル版「飼い犬に手を噛まれる」
は割と笑えないから困る。所詮チワワだけど。

散歩の最中も、例えば地面をペロペロ舐めたり、
人様の玄関の真ん前でウ○コをしたり、と
なかなか苦労したものである。犬はやはり犬、
何度ダメだと叱っても懲りずにまた繰り返す。
うちの犬はなぜかウ○コは家の犬用トイレではせず、
外でしかウ○コをしない。なので、雨の日も雪の日も
ウ○コをさせるために必ず散歩に連れていかなければ
ならなかった。本当に手のかかる犬だった。


久々…とは言っても、正月に帰省しているので
それほど久々感はないが、実家に帰ると変わらず
母と犬が迎えてくれる。母はまだ元気に見えるが、
犬はやはり年なのだろう、以前よりずっと大人しい。
昔ならキャンキャン吠えて無駄に駆け回って
うるさくて敵わなかったが、今では全く吠えないし
毛布の上でじっとすることが多くてあまり動かない。

我が家では犬の散歩の時間は夕方と決まっている。
久々の散歩。以前なら勢いよく駆け降りていった
階段も、今では一段も自力で降りれないでいる。
仕方なく抱きかかえて舗道まで出ても、少しも
歩きたがらない。土砂降りの中、犬が濡れないよう
傘に守られた領域を犬に譲りながら、少しずつ
犬の歩みを進めさせる。

懐かしい散歩道。
他の犬を見つけては手綱を引っ張りまくり、
帰ろうとしても帰りたがらず僕を困らせた
あの頃が思い出される。そして、そんな昔の姿と
今の年老いた姿を重ね、少し胸が苦しくなる。
犬が過ごす歳月は人間のそれよりずっと短い。
自然の摂理に逆らえないことは頭では分かって
いても、やりきれない気持ちに襲われてしまう。


不意に、犬が足をとめた。
少し腰が引けているこの姿勢は、ウ○コのサイン。
そしてその場所は、人様の玄関の真ん前だった。

慌てて止めようと思った。だけど、僕はそれを
止めることができなかった。実家を出て以来
見る見る年老いていった愛犬が、あの頃と
同じように手のかかることをしようとしている。
最近は便秘気味だと母が言っていた。だから
今回の散歩では、外でウ○コをしないかも知れない
と思っていた。なのに、ちゃんと外でもよおして、
飼い主である僕を安心させてくれているような
気がした。その姿がなんだかたまらなく愛おしくて、
思いがけず目頭が熱くなった。


「よくウ○コできたね、えらいね」
そう言って犬を誉めた僕は飼い主失格なのかも
知れない。でも今日だけは僕の弱さを許してほしい。

速やかにウ○コの処理をした僕は、ティッシュで
犬のおしりを優しく拭いてあげた。すると犬は、
もう散歩の目的は達成したと言わんばかりに、
その後一歩も動かなくなった。仕方なく僕は、
ビショビショになった犬の体を抱えて家へ帰る。
濡れているのに、ずいぶん軽くなった事に気付く。


犬を抱きながら、帰り道にふと考える。
この先あと何回この犬と散歩ができるのだろう。
それを思うと、なんだか散歩が終わるのが
もったいなくて、家に帰りたくないような
不思議な葛藤が沸き起こって足を止めた。
駄々をこねたってしょうがないのに。

依然として強い勢いの雨が傘を叩きつけ、
「バラバラ」と小気味いい音を立てる。
この降りしきる雨音が、寂びた心を慰めて
くれている気がした。少し可笑しくなって、
僕は再び家へと足を進めた。

今はまだ元気でいてくれている、
この小さな犬の体温を感じながら。

背徳の蜜仲

昼間、普段から購読しているニュースアプリに
号外ニュースが飛び込んできた。なんでも、
育休取得がどうとかで物議を醸していた衆議院
議員が某グラドルと不倫をしたとかなんとか。

そういえば、先月も某タレントと某バンドの
ボーカルの不倫騒動で騒がれていたような。
去年は大物芸能人の相次ぐ結婚ニュースで
喜びに沸いていた芸能界だが、今年に入って
SMAPの解散騒動やら某タレントの不倫騒動やら。
なんだか今年は幸先が悪いような…大丈夫なのか。


某タレントの時もそうだが、不倫騒動に関する
ニュースやエントリーをちょこちょこ見ていた
ので、時流に乗って僕もエントリーを書いてみる。

僕は芸能ネタにはあんまり興味ないしどうでもいい。
「不倫は文化だ」と言っている某プレイボーイが
いることくらいは知っているが、どうでもいい。


普段から2ちゃんねるの気団・鬼女板をチェック
している僕は、不倫が発覚し離婚沙汰になった時の
恐ろしい事例・悍ましい結末をいくつも見てきた。
既婚者諸氏は結婚という制度を甘く見てはいけない。
僕ならシタもサレも御免だ。まだ未婚だけど。

なので、不倫はよろしくないことだとは思うが、
正直言って某タレントが不倫をしてようがしてまいが
それは当人の問題だ。どんな結末になろうとも、
不倫というパーソナルな問題に周囲が必要以上に
騒ぎ立てるのは如何なものかと思う。

非難の声もある一方で、応援の声もあるようだ。
「がんばれ」とか「純愛を貫け」とか。
しかし、その反応の内容の如何などどうでもよく、
そもそもこんな問題に第三者は反応すべきでない。
ほっとけばいいものを、ここまで取り沙汰されて
いるのはくだらないマスゴミ機関のせいだろう。
本当にくだらない。


有象無象の虫ケラ達が俄かに勢いづいて批判し、
世論を扇動し、対象を非難して痛めつける。

事件を囃し立て、道義に反する行為を咎めるのは、
一見するともっともらしい姿に映るかもしれない。
正義の御旗を振り翳して罪人を粛清するのは
さぞかし気持ちのいい行為だろう。でもなんだか、
当時の一連の報道は、世間ずれしていない少女を
よってたかって虐めたような、なんとも言えない
後味の悪さをどこか感じさせた。


某タレントの件はともかくとして、今回の某議員は
紛れもない公僕。同情の余地はないだろう。

しかし、少年の買春疑惑が囁かれている議員やら
賄賂で辞任した某経済再生なんとか相やら、
日本の将来が危ぶまれますな。まぁ、昔からだけど。


不倫で思い出した。以前福山雅治さんがやっていた
ラジオの「黒い糸の女」というコーナーがあった。
不謹慎で最低で最高のコーナーだった。ご賞味あれ。