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仕事、投資、技術メモ、オカルト、その他クソミソな趣味や日常についてあれこれ綴る、日記帳というより雑記帳。忘却の彼方に置き忘れた夢と情熱を求めて彷徨中。

剿絶ロワイヤルの誓い

僕はシステムエンジニア
もといプログラマである。

システム開発の仕事をしていると、
技術的なハードル以前に、社内の
政治的・対顧客的事情により
「したいことができない」
ということが往々にしてある。

主に、
改修に次ぐ改修により無理が祟りまくった、
煩雑化されたスパゲティ状のプログラムの整理、
およびそれに付随するドキュメントの整理

である。

ソース上の汚いコメント、
共通化されていない構造、
意味を成していない設計書…

直したいものは山ほどあるが、
そんな時言われるのがこんなことだ。

  • もうお客様への納品が終わったから
  • そんな修正をするための工数はないから
  • それで何かあったらお前責任とれんのか


ふむふむ。
僕も僕でそういったどうにもならない事情が
あるのは理解しているつもりだが、目の前に、
歪に育ってしまったプログラムソースがあり、
解決方法が分かっているのに何もできない
もどかしさ、自分の無力さに涙が出そうになる。


僕は、真鍋宏史さんが書かれている
はてなダイアリーアスペ日記」が好きで、
更新を心待ちにしている。

真鍋さんはGoogleWeblioを経て今は
どこぞの研究所で働かれている生粋の技術者。
趣味は外国語で、マルチな能力が羨ましい。

そんな真鍋さんが、GoogleWeblio
退職された時のエントリーに、技術者としての
矜持について書かれていた。


~「Google辞めました」より~

ベータ版が出てから、私はそれに致命的な欠陥がある(少なくとも自分にはそう感じられる)ことに気がついてしまった。たとえると、味噌汁にだしが入っていないようなもの。もっとも基本的なレベルの問題。そのことに気づいてから周りにそのことを伝えたが、反応は薄かった。

最初に辞めようと思ったのは、直接的にはこのことが原因だ。自分で積極的に関わろうとしなかったことへの悔恨。自分にとって重要なことが重要視されないことへの絶望。何よりも、欠陥製品(と思えるもの)を世に出してしまったことに対する自責。

Google は、いろいろな意味で待遇はよかった。福利厚生・給料など、具体的な話はしないが、まあ申し分なかった。それで、「どうして辞めるのか」ということを、妻をはじめ、いろいろな人に聞かれた。

それは、本当につらかったからだ。たとえて言えば、猫好きな人が、猫を処分する職場で働くようなものだ。その人の立場で、「職場が福利厚生が充実していて給料がいいから我慢して働こう」という気分になるだろうか。

こういうたとえをすると、中の人は不快になるかもしれない。しかし、これは自分にとっては、切れたばかりの傷跡のような、生々しい感覚だ。こう感じるようになったことは不幸な巡り合わせだったと思うが、それはもう起こってしまったことだ。それを書くことは悪いことだとは思わない。書くことによって、誰かの何かの参考になるかもしれないと思う。Google にとっても、たとえば「社風に合わない人間を雇わないほうがいい」といった教訓になるかもしれない。

 

~「いい話(ウェブリオ辞めました)」より~

プログラマは黙ってコード書けよ」みたいな考え方がある。だが、ぼくはそういう言説とは全力で戦っていく。

確かに、努力をあきらめてのらりくらりと生きているようなプログラマもいるのかもしれないが、能力の範囲内で精一杯頑張って、それでももがいているプログラマも数え切れないほどいる。人間の生まれ持った能力は違うし、抱えているハンディキャップも違う。運良くパラメータと環境が揃った人間だけが勝ち組になれるなんて、いくらかっこつけたところで、原始時代と同じじゃないか。

プログラマがものを考えないでいると、ごく一部のトップ以外は、会社に交換可能な部品と見られて底辺を這いずることになる。ぼくはそれをこの会社で実感した。

自分が機械にならなくても、好奇心を持って果敢にチャレンジすることで生産性や信頼性を上げることができるのが、プログラマという職業なんじゃないだろうか?

トップレベルの人材でない限り、健全さ・好奇心・向上心・余裕・人間としての尊厳といったものは贅沢品にすぎないんだろうか。ぼくはそうは思わない。現時点では、そういうものが持てる健全な会社はごく一部で、トップレベル人材の分の場所しかないかもしれない。でも、その健全さは「頑張ったご褒美」として与えられているものではなく、それ自身が成長力につながっているはず。だとしたら、そういう会社が勝つことによって、よりよい環境が増えていくんじゃないだろうか。そのためには、プログラマの行動が必要だ。

プログラマが、人間として頭を使って考えること。プログラマが、いる場所・いた場所の情報をオープンにしていくこと。プログラマが、いるに値しない場所から勇気を持って去ること。

プログラマの環境を改善するには、これらが大事だと思っている。少しずつでも下のレベルにまで健全さが波及するよう、市場の力が働いてほしい。

 

僕は真鍋さんほど優秀な人間ではないけど、
技術者の尊厳については理解しているつもりだ。
(Web系とSierじゃ業種が全然違うけど)
だからこそ、できないことが多いと本当に辛い。
残業や休日出勤くらいは全然平気な僕も、
汚いプログラムは見るに堪えないほど辛い。

次期開発があったらリーダーに買って出て、
今回の開発で遺してしまった負の遺産
必ずや根絶やしにしようと思う。

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こんな風にな。