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仕事、投資、技術メモ、オカルト、その他クソミソな趣味や日常についてあれこれ綴る、日記帳というより雑記帳。忘却の彼方に置き忘れた夢と情熱を求めて彷徨中。

我が半生の回顧録

メリークリスマス。イブが終わってしまった。

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そして今年ももう終わろうとしている。
来週1週間は会社に休みをいただいたので、
実は先週の金曜日が最終出社日だった。
くどいようだが、本当に異動して良かった。

色んな人に触れ回っているが、今年はガチで
今まで生きてきた中で最高の1年だった。
主な理由は下記の通りである。

  • 北海道「氷の教会」で挙式できた
  • ホワイトな部署に異動できた
  • 子宝に恵まれた
  • ラット抜け(不労所得>支出)した

仕事に家庭に充実した1年になったと思う。
しれっと書いているが、かつてこのブログを
書き始めたテーマの1つであった「ラット抜け」。
それが達成できた意義は非常に大きい。

「ラット抜けした」という言葉が意味するものは、
「もう働かなくても生活が出来る」ということだ。
今の仕事は楽しいし、辞めるつもりは毛頭ないけど。

社外で活動をはじめておよそ5年。
ここまで来るまでに散々遠回りをしてきた。
少し回顧してみようと思う。

2011年

  • 現在の会社に新卒で入社。
  • 軍隊のような社会人研修を経て、メインフレームの開発部署に配属される。

2013年

  • 仕事にも慣れて日々の業務がつまらなくなってきたことと、現在の収入で将来が不安になったことを機に、副業を決意。
  • 地元のピンサロのWebサイト作成の求人があったため応募。個人での受託開発を開始する。
  • サイトを2つほど納品したが、1サイト当たり3万円で買い叩かれる。
  • その後も月々の保守費用が1万円だったり、風俗嬢の送迎で駆り出されたり、店長と意見がすれ違い始める。最後には喧嘩別れして終了。
  • 同時期、サーバーをレンタルした際に平城寿さんのメルマガを取り始める。技術者から経済的自由を手にした生き方に憧憬の念を抱く。
  • 平城さんが真田孔明氏と共同で出資者を募っていた「油田開発事業ファンド」の説明会に参加。世の中には、日の目を見ないがとてつもないレベルの実業家や投資家がいることを知る。案件は結果的にポシャったが、今でもDr.サイ(半田俊宏)さんのことは尊敬している。
  • 同じセミナーに参加していた人(後の師匠となる人)と親睦会で仲良くなり、後日キャッシュフローゲームに誘われる。
  • キャッシュフローゲームに参加したものの、当時は投資よりWeb開発に興味があったため、その後は参加せず。
  • Web開発の構想に明け暮れ、2013年が終わる。

2014年

  • Web開発は遅々として進まず。
  • 師匠の奥さんから連絡があり、再度キャッシュフローゲームに誘われる。まずは不労所得が自分には必要だと感じ、師匠のセミナーに通い始める。
  • 本業のプロジェクトを異動になる。COBOL・JCLと戯れるメインフレームの開発から、オープン系・数理計算システムの開発へ。
  • 本業の研修で、通年のシステムアーキテクト研修に参加し、毎月東京へ行って方式設計の基礎を学ぶ。他部署との交流が新鮮で、うちの会社にも化け物じみた技術者がいることを知る。この頃、仕事が少し楽しく感じ始める。
  • 1件目の不動産を購入し、オーバーローンで少人数私募債を購入。この辺りが、思えば最初に投資の世界に足を踏み入れた瞬間だった。
  • Bitcoinを取引所に卸している企業「BTC-CLD」に出資。月利3%という驚異の利回りに感動する。
  • 同時期、Etherum(イーサリアム)をプレセールスで購入。
  • 同時期、後輩からVera&Johnアフィリエイトの情報を聞くが、特に参加はしなかった。本業だけやっていると案外気づかないが、世の中には様々な投資情報が存在することを知ると同時に、善良な人間を巧みに搦め取ろうとする魑魅魍魎の存在に恐れ慄く。
  • バイナリーオプションの詐欺に遭遇し、ネット情報の悪質さを肌身で感じる。
  • 当時、本業の仕事が死ぬほど忙しかった。評価は高かったものの、いつか会社を辞めることを静かに決意。
  • セミナーに通い続け、着々と投資に手を付け始め、自分は他のサラリーマンとは違うという優越感に酔い痴れ、2014年が終わる。

2015年

  • 「BTC-CLD」がそろそろヤバイという情報を師匠から入手する。出金して様子見をして数か月後、会社はあっさりトんだ。数千万円単位でやられた被害者たちの怨嗟の声を目の当たりにし、投資の恐ろしさを身に染みて知る。
  • 自身の活動をやりやすくするため、実家を出て大阪・京橋で一人暮らしを始める。
  • ビジネスの基本を学ぶべく、MLMの会社の説明会を数社まわる。
  • 同時期、BUYMAを使った転売ビジネスのパッケージを購入するも、リサーチが面倒くさすぎて頓挫する。
  • 情報発信の習慣を身に付けるため、ブログを開始する。
  • 本業の仕事で大型案件にアサインされ、自由な時間が逼迫される。ただ、当時の仕事は今思い返せばメンバーにも恵まれ、楽しく仕事が出来た。
  • 当時通っていたセミナーの教示に疑問を抱き、セミナー関係者と距離を置く。
  • 本業の仕事の都合で、3回ほど中国へ出張する。中国のIT企業の優秀さを目の当たりにし、日本のぬるま湯具合に不安を覚える。
  • 本業の傍ら、当時IT業界のブームだった機械学習や分散処理の勉強に励んで2015年が終わる。

2016年

  • 以前誘われた、岡部悦也氏のMLMに参加したものの、あまりにも古い手口、グループメンバーのテンションのウザさに辟易し、開始後すぐに撤退する。MLMフランチャイズはその性質上、胴元にならない限り経済的自由は得られないと判断。
  • ツテで税理士の先生を紹介してもらい、確定申告を無事に済ませる。
  • 以前のセミナーのコミュニティも、今回のMLMのコミュニティも、端的に言えば、異口同音に声高に「サラリーマンDis・権利収入で海外旅行マンセー」を合唱している、ある種の宗教じみた団体であり、自分の求める生き方ではないと強く感じる。
  • その後も惰性でセミナージプシー活動や出会い系セールス活動を続け、様々な場所に顔を出して人脈の拡大を図る。その中で、今の嫁と出会う。
  • 京橋で平日朝活を開始。思いのほか参加者が集まってくれて感激する。そこから、個人でWebサイトの受託開発を始めるも、まったく金にならなかったため終了する。
  • 民泊用途で2件目の不動産を購入。大きな副収入の柱が出来る。
  • Amazonを使った転売ビジネスのパッケージを購入。結果は出たが、これは権利収入ではなく労働収入であると思い知り撤退。自分には転売は向いていないと悟る。
  • 社内制度を利用し、ベンチャー企業への出向を志願するも技術力不足で不合格となり、サンフランシスコで働く野望が潰える。
  • 俗に言う陰謀論めいたもの(ロスチャイルド一族、イルミナティフリーメイソンなど)に始まる、世界の裏側をほんの少し垣間見る。
  • 乗り気ではなかったが、嫁の勧めで海外積立を開始する。この頃、嫁と入籍する。
  • FPの友人からバイナリーオプションのパッケージを購入するが、再現性の低さ、ものにするまで時間がかかることを鑑みて撤退。自分が本当にやりたいことは何なのか真剣に考え、気付けば2016年が終わる。

2017年

  • 北海道「氷の教会」で挙式。その後、大阪の閑静な住宅街に引っ越し。
  • 今年はWeb開発と投資に注力することを決意。世に送り出したいサービスの作成のために、命を燃やして働くことこそ自分の本懐であると再認識する。
  • はじめて自分一人で確定申告をする。この頃、嫁の妊娠が発覚する。
  • 一昨年アサインされた本業の大型案件がクローズ。その後は保守・開発のリーダーを兼任させられ、心身ともに疲弊する。転職・異動を画策し始める。
  • 2014年に購入した少人数私募債を売り払い、別の投資(FXファンド・民泊事業への出資)に投資先を変更。暗号通貨やカードローン等で現金をつくり、大規模な運用を開始する。
  • 本業の会社で、副業(兼業)が許可制になり、事実上の労働規制緩和が入る。会社員をしながらWeb開発の会社を起業することが当面の目標となる。
  • 相変わらず、様々なツテから情報が入る。投資先を取捨選択しつつ、新たな投資(シストレファンド・中古車販売の業務委託・暗号通貨のICO案件)も開始。
  • 妊娠中の嫁の「旅行できるのは今のうちだけだから」という泣き言を聞き入れ、神戸・浜松・福岡・和歌山など、可能な限り旅行して思い出作りに励む。
  • ボランティアに参加する。やりがいを感じるものの、「自分が今すべきこと」ではないと痛感。「金を生み出さない行動はすべて遊びだ」という究極にドライな境地に行きつく。
  • 本業で所属していた部署の業務内容・体制に心底ウンザリし、社内公募へ応募。見事に採用され、新たな部署へ異動。ホワイトすぎる環境に衝撃を受ける。
  • Web開発の構想に着手するも、年内のローンチは断念。
  • 第一子が無事に生誕する。
  • コインバブルの恩恵を受け、一気に現金が増えて運用額を拡大し、ラット抜け(不労所得>支出)を達成して2017年が終わる。

 

自身の活動をここまで審らかに書くのは初めてだ。
細かいことを挙げていけばもっとあると思うので、
気付いた時に自分史として更新していこう。

それにしても、諦め癖と言うのだろうか、
何度案件を頓挫してきたことだろう。
今まで何百万ドブに捨てて来たか分からない。

でもまぁそれのおかげで今があるわけだし、
結果オーライと言ったところかな。回り道も
したが、本当に有意義で濃密な5年間だった。
そして、今年は飛躍の1年となった。


来年の抱負は、次回のエントリーに譲るとしよう。