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仕事、投資、技術メモ、オカルト、その他クソミソな趣味や日常についてあれこれ綴る、日記帳というより雑記帳。忘却の彼方に置き忘れた夢と情熱を求めて彷徨中。

頽廃ノスタルジア

性懲りもなく帰省中。
母親への誕生日プレゼントを渡すため、
および不動産関連の書類取得のために
帰らざるを得なかったという事情があった。

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ついでに明日は休みを取って丸一日ゆっくりする
算段だったが、どうも業務都合で半日しか
休めなさそうだ。そのため、昼には大阪に
戻って仕事をしなければならない。くっそー。
 
 
過去のエントリーで何度か滋賀県のPRを
行っているので、今さら特に語ることもない。


実家を出て彼此1年半くらいになる。
愛犬が死んでから、実家はすっかり寂しくなった。
「思い出してしまうのがつらいから」
という理由で、母の手により犬関連のグッズは
ほとんど取り払われてしまっている。
 
それでも、無意識に足元に気を付けてしまったり、
犬対策の柵があるような錯覚を覚えてしまうのは
まだ愛犬の死に順応していないだけなのだろうか。
まぁ久々の帰省だし仕方ないんだけど。
 
 
「人はいつ死ぬと思う?
 心臓をピストルで打ち抜かれた時。違う!
 不治の病に冒された時。違う!!
 猛毒キノコスープを飲んだ時。違う!!!
 人に…忘れられた時さ!!!!」
 
『ワンピース』のDr.ヒルルクの台詞である。
元ネタは何なんだろうと適当に探していたら、
この手の言い回しは様々な作品の中で
使われているようだ。中でも、
 
「人は2度死ぬ。
 1度目は、肉体が滅びた時。
 2度目は、その人を知る者がいなくなった時。」
 
というフレーズは、僕も聞いたことがある。
 
 
クリスチャン・ボルタンスキーという、
「生と死」をテーマにしたフランスの芸術家も
似たような言葉を使用されている。
(これが元ネタなんだろうか?真偽不明)
 
「最も残酷なのは肉体の死ではなく、
 一人ひとりの名前が奪われ、
 人格が奪われ、忘却されることだ」
 
 
死を悼むという行為は尊い。
そして、忘れずにいてあげることが
死者にとって供養になるのだろうか。

せめて僕が生きている間だけは、
この記憶を風化させずにいたい。
 
 
死んだ愛犬と過ごした時間と同じく、
これから母と過ごせる時間についても
考えざるを得ない。
 
生まれてからの時間。
生きている時間。
死ぬまでの時間。
死んだ後の時間。
 
 
ぶっちゃけ、地元に帰省するのは面倒で億劫だ。
ネット環境も貧弱だし暇を持て余し気味になる。
 
それでも、限りある時間の中。
なるべく母に顔を見せに帰ろうと思う。