forLifeMap

仕事、投資、技術メモ、オカルト、その他クソミソな趣味や日常についてあれこれ綴る、日記帳というより雑記帳。忘却の彼方に置き忘れた夢と情熱を求めて彷徨中。

甘く切ない幻夜の思い出

そうだ、昨日はバレンタインだった。
僕としたことが、自分には悲しいほど
関係がないイベントなので完全に忘れていた。

つーか、普通に実家に帰省してたっつーの。
母親が「えっなんでこのタイミング?」とでも
言いたげな気の毒そうな顔をしていたのは
そのせいか。くっそー、なんという不覚。

僕にとっての2月14日という日は、
恋人からチョコを貰って狂喜乱舞する日でも
グラハム・ベルが電話の特許を出願した日でも
エヴァで休戦臨時条約が締結された日でもなく、
今住んでいる大阪に引っ越した日だ。


「一人暮らしは金がかかる」という話を鵜呑みにし、
必要なランニングコストをろくに調べもせず、
大学・大学院での6年間は一人暮らしを諦め、
滋賀県の実家から大阪の大学まで通っていた。
片道およそ2時間。正気の沙汰とは思えない。

早く一人暮らしがしたいと思っていたはずなのに、
だらだらと実家にパラサイトし続けていた事実は
今思えば不思議なことだ。一人暮らしの生活費など、
本気でバイトすれば捻出できただろうに。

まだ甘えていたかった?
生活を変えるのが怖かった?
バイトに明け暮れるのが嫌だった?
母と犬を置いて家を出るのが心残りだった?

理由はよくわからないが、理由などどうでもいい。
実家を出なかった、という事実だけがすべてだ。

社会人になっても勤務地が大阪だったこともあり、
依然として実家から通うという状態を続けていた。
この時点で僕は、完全に家を出るタイミングを
失っていた。いったいいつ独り立ちできるのだ…


そんな僕が家を出る決断に至った契機は色々ある。
母親は派遣社員として働いているが、その職場で
派遣切りがあるという報せ。それにより、母親が
引っ越しを伴うジョブチェンジを目論んでいたこと。

実家が引っ越すとなった時、親についてまで一緒に
引っ越すことが躊躇われた。僕ももういい大人だ。
流石にこのタイミングでついていくべきではない。
…結局、母親は超仕事ができる派遣社員だったため
派遣切りの憂き目に遭うことはなかったが、僕の心に
「一人暮らし」という明るい影を確かに落とした。

ちょうどその時期に、うちの会社の大阪支社は
江坂から淀屋橋へ移転することになった。
転機だと思った。ここで家を出なければ僕は
一生家を出ないかもしれない。かなり大袈裟だが、
そう思わせられるくらいの何かに突き動かされた。

不動産を買った時の書類を親に勝手に見られたり、
実家だとビジネスのための活動がしにくかったり、
実家にいることの限界・不満を感じていたのも事実。

母を一人にするのは少し心配だったが、
僕は心を鬼にして一人暮らしを断行した。
それがちょうど1年前の2月14日だ。


どうやら僕は、1年前の同じ日も、昨日のように
このバレンタインという日を忘れていたらしい。
重ね重ね不覚である…何やってんだろ俺。